「海街diary」の続き『詩歌川百景』第1巻【ネタバレ感想】#ちょい吉田秋生さん振り返りあり

以下、ネタバレありです、独自解釈による偏見もございます(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

吉田秋生個人変遷史【読み飛ばしてイイですw】

吉田秋生作品を取り上げるのは、久しぶりです。

久しぶり、とするほど読み込んできた読者でもありません。
それについては、以前に書いております。

以前・・・まだブログ開設当初に書いたものです。なので、少々複雑な想いながらの参照案内です。

昔へ遡れば遡るほど、自分のブログ記事が気恥ずかしくなります。一旦は過去の記事に対する大鉈を振るおうか、とも思った時期もありました。

やらなかったのは、やるには「気恥ずかしい過去の自分」と対峙しなければならなかったからです。他人には分からない悶絶を繰り返さなければなりません。

そして、ちょい冷静になれば「現在だって、どうなのよ?」となります。前よりはマシになっている、と思いたい現在の記事も、後になって振り返れば結局は同じ目に遭いそうです。

そういうわけで、開き直ることにしました。
自虐の対象とします。あんな頃は、こんなこと書いていたんだなぁ〜という具合です。
何もしないほうが、手間もかかりません(笑)

とはいえ、これはさすがに紹介したくない、というものもあります。
例えばアニメ『五等分の花嫁』なんて、もう的外れもいいところ。アホーな自分を諫めるために取っとくか、といった感じです。

アニメ『BANANA FISH』の記事は、まぁまぁいいかな、といった感じなので思い切って紹介です。まだブログ開設当初は観たもの何でも書く、といった調子が感じられて懐かしい気分になります。

それでも内容に触れていないところなど、現在における萌芽が見られます。萌芽などと大層に表現してますが、相変わらず内容の薄いブログな気がしないでもない(笑)

吉田秋生の著作を追いかけてはおりません。
かつては映画化された『櫻の園』を観たくらいです。ぜんぜん購入しない、作者からすれば読者とさえ言えません。

むしろ作風としては、苦手な部類へ入っておりました。ジェンダーレスではすまないハードさに、当時の自分では追いつけなかったように思います。

BANANA FISH』は、個人的にはきつかった作品です。けれど年齢を重ねたことによる心境の変化と、原作コミックだとエグく感じたところもアニメ化なったこの歳なら追っかけられそうです。

それに何より、この時点で吉田秋生の著作を心待ちにしております。

海街diary』その5巻から、新刊を待っての購入をしています。吉田秋生のコミックを買い出しております。

海街diary』が、実写化?大丈夫かよー、でもおかげで一気に知れ渡ったから、原作を買い続けている俺は鼻が高い!と変な自慢をするイヤなヤツへなっております(笑)

個人的には、吉田秋生は『海街diary』の人といっても過言でありません。

そう言ってますが、『BANANA FISH』のアニメはおもしろかったです。後日談『光の庭』までアニメ化しろよー、とくらいまで思っています。

けれど、購入しているのは『海街diary』のみです。
それも2018年12月に、最終巻が発売されました。

もうこれで吉田秋生とは縁がなくなってしまうのか、と思ったものです。けれど一度繋がった縁は早々に切れるものではない、と綺麗な表現をもっての掌返しであります(笑)

通り雨のあとに

海街diary』を、なぜ購入するようになったかと言えば、その内容の素晴らしさ!だけとしては身の蓋もありません(笑)

海街diary』は「父親が亡くなった」ことから端を発します。

幼き日に、父から捨てられた三姉妹。一方、略奪した女性は既に亡くなっており、残されていた異母妹。

こじれてもおかしくないはずの姉妹が、共に暮らすことを選ぶ。父親に対する思い出が結びつけた・・・だけなら、新刊を待ち侘びるほどにはならなかったです。

異母妹のすず。母親が亡くした後に、父が再婚した相手は甘えてくるところがかわいいと思わせてくるタイプです。
いくつになっても、男の見る目はしょうもないといったところでしょうか。もしくは、常に相方を求める性分なのかもしれません。モテる人という条件の一つとして、パートナーを求めずにいられない性格は大きいです。

これまで、父親と2人だけでも良かったすず。それが再婚相手の連れ子である義弟2人が加わるだけでなく、程なくして父親が不治の病にかかる。

義母は家族だから妻なのだから看病する、とはならない。子供へ平気で押し付けながら、他人様の前では大袈裟なまでに悲劇のさまを見せてくる。始末に負えないのが、当人は全く自分の行動に疑問を抱いていないため、周囲へかけた迷惑を理解することはない。

一方、3人の姉に当たる佳乃千佳も、父に捨てられた悲劇の母に、捨てられている。1番上の姉であるが母の行動に呆然としてみせた顔が、次姉の佳乃は忘れられない。

社会的に同情される目に遭いながら、同じ目へ遭わせるに近い行動が取れる大人たち。向かう先は、自分の都合を通せる子供や親類縁者です。

家族を建前に平気で無慈悲な行動を取れる親が原因で寄り添うこととなった姉妹という背景が、とても現実的に感じられます。
こうした点が強く働いての購入です。

ここで書いている者に何かあったのか、と思われるかもしれませんが、そこはご想像にお任せます(笑)

こうして歩み出した姉妹は、さまざまな経験しつつ、成長もそうですが自分たちの居場所をしっかり掴んでいきます。
4姉妹にとっての恋愛は、新たな家族作りの意味が大きいです。

最終巻においては、末妹のすずが皆と離れて寮住まいの高校へ向かう列車のシーンで本編は終了です。

その本編に続いての番外編『通り雨のあとに』最終回から10年後が舞台です。

この番外編で主役は、和樹すずにとって父の再婚相手の連れ子であり、旅館で働くくらいまでに、すっかり成長した兄の方です。

海街diary』の3巻で語られていましたが、義母は父が亡くなった後に、すぐ別の男性を見つけています。

和樹は大叔父の元に身を寄せて留まりましたが、弟の智樹は母親に付い行きます。

兄弟は、離れ離れとなります。後年の再会において、弟は手のつけられない不良となってしまい、気持ちを共有できない関係になっています。

4姉妹とは真逆の道を辿っています。

訪れた大人のすずは、結婚すると言う。生みの両親の遺骨を、自分の手元である鎌倉へ移すためにやって来ています。

そんな一時期だけの姉に対する和樹の想いが綴られる内容となっています。

少し寂しい感じの、でもだからこそ『海街diary』に相応しいエピローグでした。

詩歌川百景1

海街diary』の最後を締めた番外編『通り雨のあとに』。
思い切って出ていったかつての姉は、すっかり先方の生活へ馴染んでいます。

遺骨を引き揚げることは、縁切りとまでは言わなくても、それに近い行為です。もうここへ訪れる理由がなくなります。

和樹にとって両親代わりの大叔父は亡くなっており、大叔母も先は長くない状態へ入っています。代わりに母親が再々婚相手に出来た子供のという幼き異父弟の面倒を見ている状況です。

頼れる親類縁者はいない。
過ごした時期は短いとはいえ姉だった女性とは、全くというくらいに会う機会は失われそうです。いつまでも姉とするには、血も繋がっていません。
家族をどんどん失っていく和樹は、すずと真逆な人生線を辿っています。

そんな和樹でも、過ごしてきた時間で作り上げられた人間関係があります。
幼馴染みで悪友ともいえる、親しい友人たち。勤め先である温泉旅館で「湯守」となるための、確かな腕を叩き込んでくれる人もいる。

そして幼馴染みで勤め先の旅館の孫娘は「町いちばんの美人」和樹より年下にも関わらず、得体が知れない大人っぽさがある。けれど、表に一切出さない、秘めた痛みがあるようでもある。

本作のヒロインとも言えるは、番外編から登場していたキャラです。
和樹を心憎く思っていそうな女子であります。

番外編では花を添えるだけの存在と思っていたのが、『詩歌川百景』では堂々物語りの中心へ据わっております。

本作において、が抱えている心の傷は何か?それが判明になっていく過程も大きな見どころとなりそうです。

海街diary』のジャンルは、と訊かれたら「文学」と答えるようにしています。
詩歌川百景』は、さらに「文学」と評する養分が高くなったような作品です。

純文学作家の丸山健二が、人間の本性を探るなら田舎に住んだ方がいい、と述べております。それを実践して見せるような吉田秋生の舞台です。

人と人が関われば、必ずややこしくなる。
現実の人間関係において、犯罪者でもなければ、明確な悪意など存在しない。ただ無責任さを自覚しない行動と、自身の保身と都合の押しつけで、他の人生など顧みない残酷さで満ちています。
けれど酷い目をもたらしてくる一方で、生きていく価値もまた与えてくるのが人間関係です。

そうしたヒトとしての関わり合いを考えされてくる作風が、より深まった当作品によって吉田秋生の新刊待ちは続くこととなりました。ありがたいことです。

そして『海街diary』と世界を同じくし、時系列も続きとなれば、すずを始めとする4姉妹の今後があるかもしれない。

吉田秋生がライフワークとするならば、ずっと付き合っていくつもりの作品です。