ロマンスドール(小説を中心に)【感想*ネタバレあり】#エロは妄想がいい

以下、ネタバレあります独自解釈による偏見もございます(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

言及が映画ではなく小説であることも、ご了承ください。

いわくつきの概要

ロマンスドール』2020年1月24日に公開された映画です。本来なら2019年秋に予定しておりましたが、出演者の1人ピエール瀧がやらかしたため延期です。

あれは2019年3月12日。電気グルーヴを聴いていた者なので、またヤクで捕まる芸能人!の1人へ名を連ねた報道に、それなりにショックを受けたものです。
当時は、ブログを始めたばかり。今となれば振り返りたくない中身の薄さですが、ほとんど訪問のないブログへ来る人がいた記事です。
思い出はあるものの、こんな記事書いてました、と紹介する気になれない類いであります(笑)

迷惑を被っていた映画でした。
当時は「ピエールのバカ!」状態だったので、チェックせずです。

まぁ、もうね、関係各所に迷惑かかるから2度とやるなよ!本当に迷惑を被るのは、犯罪を起こした当人ではなく、周囲の人間なんだぞ。

と、当時の憂さをここで晴らしたところで『ロマンスドール』を知ったきっかけは、そんなピエール瀧のおかげとなります。
なかなか複雑な気分であります。

監督は、タナダ ユキ。代表作は『百万円と苦虫女(ひゃくまんえんとにがむしおんな)だそうで、他にも数ある映像作品を残しております。

ここで書いている人は、当監督の作品は一切観ていない。知らない監督であれば、どんなだろう?となります。
ピエール瀧の復帰作として、これを最初としようか。

ただ作品を調べていくうちに、どうやら10年前以上に書籍で形にされています。タナダ監督が自ら執筆しています。
10年前に発表された小説が、ここにきて映画化という変遷が興味をそそります。

本屋でチェックする後書きの走り出しで、映画用のプロットとして出版に先立つより5年前に出されたものであったことが書かれています。

ピエールのバカ!がなければ、出版から10年後にして、企画が出されてから15年後の公開となっていた代物です。結局は年を跨ぐことになりましたが、コロナ禍が迫ってきており、ぎりぎりのタイミングだったとも言えます。瀬戸際でした。

以上の知識をもって、お仕事先における雑談用の知識です。営業トークとも言えます。本当は特撮話しをしたいのですが、リスクが伴うため大ぴらにするには場所を選びます(笑)

そうしたら、原作本である小説をいただけることになりました。ありがたいことです。こうしてブログのネタするほどの読了感を得ました。

ただ、ここで書いている人は性根がよくありません。もし特撮で話題を振っていたら、その手の本をくれる人が出てくるだろうか?などと考えた己れが、とても許せません(笑)

原作本は、非常におもしろかったです。

重ね重ねになりますが、以下ネタバレになりますことをご了承ください。

文芸作品

美大の彫刻科を卒業した青年が主人公。修学した知識や技術が活かせる職などへ有りつくのは難しく、フリーター生活を送っています。

そこへ先輩が、仕事先を紹介してくれます。

ラブドール、いわゆるダッチワイフ製作の技術者にならないか、というお話しです。
少し心の葛藤はあったものの、就職先とします。

当作品中において、ラブドールにおける技術的進化の描写があります。そしてラブドールを人間に近づけさせられない社会的法律が存在することも。雑学として、なかなか得難い知識をもたらしてくれます。

主人公の青年がラブドールの開発において、悪戦苦闘するなかでより完成度を目指して、実際の女性を間近にしようとなります。
モデルとして呼んだ女性が出会いのきっかけとなります。
とんとん拍子で結婚にまで至ります。

ただ結婚へ至っても、主人公はラブドールのモデルとして呼んでいた事実は告げられていません。他の誰と知らない男たちの性欲を満たすためと、騙していた負い目を背負っての結婚生活となります。

『ロマンスドール』は夫婦間における情愛であり、結婚後における「男女として過ごす難しさ」といった古今から多く扱われたテーマに、ラブドールを絡ませたことで新しさを吹き込んでいます。

奥さんとなった女性は、容姿が美しいばかりではありません。仕事に没頭して家庭はおざなりにしても、文句一つ言わず気を遣ってくれます。
完璧な妻を演じてくれています。

演じていてくれていることに、主人公は気づけません。

ここで個人的な感想を挟ませてもらえば、理想の妻を得られただけでなく、恋愛や歩んできた環境において、さほど理不尽なく過ごせてきた主人公が、ただただ羨ましい。
ふと結婚できる環境にありながら実家暮らしのまま過ごす連中が浮かんだりしてきます。
家庭環境に足を引っ張られるまま、どうにもならない結果へ陥るしかなかった。

労苦は人それぞれ。自分が特別に苦労してきたわけじゃない、と言い聞かせているだけかもしれない。
他人を嫉妬してやまない。それが自分の真実なのだろう。

あまりに完璧すぎるから妻を母親同様な存在へ見立ててしまう。だからセックスレスになってしまう。それが主人公の言い分です。

居心地のいい存在として母親が浮かぶなど、本当に恵まれていたとしか思えない。どうしても拭えない女性不審の拠り所が母親である者からすれば、恵まれすぎに映る。

と、手前勝手な自分の考えが駆け巡ります。

『ロマンスドール』を文芸作品とするのは、こうした自分の浅ましさが炙り出されてしまうところを所以とします。
まったく己れの器の小ささ。他人を羨まずにいられない感情。普段は避けている部分を自覚させられます。

けれども、こうした機会は時に必要なことと思うことにします。きつくても自覚しなければいけない矮小な自分です。
ただ今回に限って言えば、きっかけがピエールのバカ!からなのが少々複雑なところではありますが(笑)。

事切れ方

セックスレスでも、性的欲求は枯れたわけではない主人公。浮気相手が出来ます。不貞行為中に、今こうして不倫しているかもと疑う妻の姿に重ね合わせて、興奮を覚えてたりもします。

反道徳的な行為だからこそ、性的な興奮がより高まっていく。これを抗いきれない事実と認められるかどうか。作品へ深化していけるか、大きな要因になるかと思われます。

結局は浮気がバレます。は別れるしかない、と切り出します。けれども、主人公である男は別れたくないと返します。自分にとって以上の女性はいない、というわけです。

愚かとするか、まだ気づいただけでもまだマシとするべきか。

普段は雑に扱っているくせに、離す段階になれば急に惜しみだす。男女仲において、男が顕著に見せる態度であり、身内において間近にしたことです。
不遜な言葉を使用させてもらえれば、相手の男は兄として今でも「ぶっ殺してやりたい」と思っています。

経験できたから、自戒できているだけに過ぎないのかもしれません。どんな結論へ至ろうが、きちんとしている、もしくはきちんとしすぎているという態度を取る原因は、反面教師の意識が強すぎたのかもしれません。

ちゃんとしているから相手を幸せに出来ているわけじゃない。だから男女の仲は物語りになるのか。
主人公は誰もが羨む順調な恋愛過程だったからこそ、夫婦として連れ添うこれからが長い生活の枷となってしまった。
誰のどの身にも降りかかるかもしれない。男女の仲は、一生かかっても答えらしきで終わってしまいそうです。

主人公は何とかやり直す方向を請います。
けれども夫婦仲の変化は、が不治の病に犯されていたことが知れたことが大きい。

実は主人公が隠していたつもりだったラブドールの職人であることは、とっくにバレていました。男なんて愚か、と言われてもおかしくない場面であります。

しかしセックスレスだった事実が、ここで重くのし掛かってきます。余命知れないは、今さら子供は作れない。自分が生きていた証として、ドールとしての形でも構わないとなります。

そこから、より精緻なものとして完成させるために製作する主人公の夫とは、営みを毎晩に渡って行うようになります。
病いで弱っていくを抱き続けることは、至難な技です。最後の方に至っては、妻を下にした体勢でセックスは出来ないほど弱りきっています。自分に当てはめれば出来るかどうか、自信のないところです。

それでもたっての願いならば、夫として応える。最後の最後で、紛れもない夫婦へなります。

の最後は、の上で。事の最中といった、まさに腹上死です。

不治の病で亡くした経験がある人ならばご存知かもしれませんが、弱り苦しんで最後を迎える姿は傍で見ていて非常に辛いです。

『ロマンスドール』におけるの死に方は、個人的には救いを感じます。そして主人公の夫に許し難い想いは拭えないものの、認めたい存在にもなりました。

PG-12?

映像化するに当たり、生々しい男女の部分があるところから規制はかかることは予想しておりました。

というより、かかって当然と言えます。

だから「12歳未満(小学生以下)の鑑賞には、成人保護者の助言や指導が適当とされる区分」であるPG-12という「広い制限」が中途半端さを感じさせます。

セックス描写という側面もあります。

けれども映像よりむしろストーリーとして、子供に見せるまでもない内容と思えるからです。

子供であるとする事象に、理想の形でしか男女の姿を捉えられないことが挙げられます。むしろ子供ならば、男女の機微を理解できるとするほうが不気味かもしれません。

『ロマンスドール』は、正悪で割り切れない最も端的な例が「男女の仲」と理解できた年代向けであります。多少なりとも理解できるまでへ至ったであろうとする制限をかけたほうが、監督しても表現がより踏み込めて完成度を上げられたのではないか、と考えます。

R18か、せめてR15か。年齢制限をかけることで、作品の制限を外せたら、と思わせる惜しさを感じさせます。

ただ映画は映像表現なりのカットの差し込む上手さがあり、またライティングの妙を感じさせられたりもします。

『ロマンスドール』を追うことは、原作小説でストーリーテラーの一面を、映画で映像表現者という面を知る、タナダユキというクリエイターの入門編として相応しかったように思えます。

そして個人的な性癖として、見せられないエロの方が興奮するタチかも、と呑んでいる時以外には口に出来ないことを感じております(笑)
ただラブドール=ダッチワイフに手を出すことは、これから一生出を出すことはないな、と思います。

体温のない人の形は、死に結びつく感覚は抜けそうもありせん。どうしても忘れられない体験が甦ります。

タナダユキは、人形=死というイメージも込めていたかもしれない。やはり個人的には、忘れられない作品へなったことは間違いなさそうです。