批評と誹謗と【平成ゴジラシリーズを思い出した】#自戒を込めて

罵詈はいつの世にも

イジメられた方は、ずっと忘れない。一生、と言っていい。

もちろん、イジメにも程度があります。
子供の頃に、女の子からイジメられたのは、懐かしい気持ちにさせます。加減が知らない時期なれば、けっこう痛かったけれど、泣かされたりもしたけれど、今となって根に持つことはありません。

ただ、やはり後へ多大な影響はあったようです。
一般においては良い顔はするものの、裏に回れば「S」傾向が強いようです。たぶん「M」へならないための反動だったかもしれません。
女性への裏対応は、きっと幼少時のイジメが強く影響しているに違いない。でも、あまり本気で取らないでくださいね。基本的には女性に優しいです、たぶん(笑)

ただ10代における、まさに思春期。陰湿化していけば、事は深刻化します。

暴力という手を使ったやり口もあります。
ただ義務教育でなくなると、今度は酷い言葉や器物損壊に当たるような書き込みといった手段を取り始めます。直接では退学させられてしまうかもしれないので、手口を変えるようです。

イジメに使う言葉とは、どんな内容でどんな表現か。
ネットの書き込みで探せば容易に見つけられます。
ヒトを痛ぶる表現は、時代を経ても変わりようがないみたいです。

もっともイジメの場合、やられた側はやった人間を覚えています。ずっとです。

まだ覚えているのか、というセリフは虐めた側の論理です。イジメられた側からすれば、ここに来て一般的常識を出されても、なおいっそう心を尖らせるばかりです。

イジメられた側が今や企業に勤め、親の跡を継いだ虐めた側がその請負を切られたとしても、理由として充分なのです。

間を取り持ってくれ、と相談されても土台無理な話しです。
なぜならイジメられた側の方こそ、懇意にしているからです。当時、仲良くしていたから、こちらにも向けられたことを忘れるはずもありません。商売柄、たまたま接触あっただけです。イイ顔しているのは、表面にすぎません。

まだ忘れてないなんて、などと嘆いて正論ぶっても解決には至りません。正当性など、実は幾通りでも挙げられる不完全なものです。結論を先立てれば、都合いい解釈など誰にでも出せます。

相手の心情を慮ること。これが為せるかどうかです。

もし許しを乞うならば、土下座でも何でもするしかない。仕事とは別だ、というならば、イジメられた当人が当時どれだけのものを抱えていたか。いろいろなことを経て、ここへ至っているわけです。

仕事とは別だ。確かに、こちらも商売上の繋がりです。まさか当時のこと、何にもなかったこととは出来ない相談です。大人になれば、それこそ綺麗事ではすみません。時には恥知らずな行動も必要です。

やりたい放題にやってのけて、いざとなったら逃げるが、いつまでも通用するものではありません。

批評・批判と誹謗中傷。隣り合わせながら、深く隔たりある行為の分け方を、どこでみるか。それは「姿勢」から見て取れると思います。

真剣に向き合ってであるのか、それとも思い通りでならなかったことや自分を持ち上げたいために行っていることか。

誰でも好悪の感情があり、それがなければ人間とは言えません。ただ匿名であっても人との関係性がある限り、向かって言っていいこと悪いことの判別が付かないなら止めた方がいい。
死んでからでは、遅すぎる。

平成ゴジラシリーズ、と呼ばれた作品群があります。
日本において平成期に製作された作品は、アニメ化を除けば13本あります。

その中で「平成ゴジラ」と呼称で知られる作品は、『ミレニアムシリーズ』と呼ばれる6本と『シン・ゴジラ』を除いた、『VSシリーズ』となります。
川北紘一特技監督が担当した6本です。いちおうストーリーの流れ上、1984年ゴジラが出発点となりますが、別物といっていい作りです。

シリーズとして、よく売れた『平成ゴジラ』単発の動員数において『シン・ゴジラ』に抜かされたものの、6作にも渡って動員を打ち立てたことで、まさしく時代を築きました。

現在の特撮現場を支える人材を生んだ、といっても過言ではありません。

平成ゴジラ世代であり、現在の特技においては第一人者になりつつある田口清隆。ウルトラマン・ニュージェネレーションヒーローズを、坂本浩一と共に根付かせて、今度の『ウルトラマンZ』ではメイン監督及びシリーズ構成にも参画します。

巨大特撮においては、トップへ位置するバリバリの現役演出家です。もうこの業界で地位を得ています。

そんな田口監督が平成特撮を、振り返る時におっしゃったことが、

「昭和世代の大人の辛い批評に心を痛めた」

これほどになっても、昔に受けた傷は癒えないようです。たかが映画、けれども「好きな作品を貶められることは魂を汚されることに等しい」とする主張もあります。

「愛情のないスタッフが女子供ウケを狙って金儲けのために作っているようなシリーズなのだから、ヤメてしまえ!」といった調子で、観て喜んでいる者を恫喝するような論評が数多く見受けられました。批評ではなく、貶めるという行為そのものな内容が多かった。

もちろん当人たちは批評だ、と言うでしょう。本気で、今でもそう思っているかもしれません。

ただ当時の平成ゴジラが好きだった者たちからすれば、罵詈雑言としか捉えようがないです。もし丁寧な解説による主張であれば、今でも言われたことが忘れられない、とはならなかったでしょう。

平成ゴジラ世代が撮影現場を締めるようになり、無視して通れなくなれば、認める発言をしだす年長者も確かにいます。ただ本当に検証し再考してくれればいいのですが、未だ「映画の見方を教えてやらなければいけない」と言っているようであれば、状況に合わせているだけとしか思えません。

せっかく等身大ヒーローのみで育ってきたからこそ、怪獣映画に対する見方のアプローチがおもしろいのに、知らないなら黙れ!調は、自覚のない悪意と取られても仕方がない。
例え一部の者であったにすぎないにしても、以前と変わらない状況に肩が落ちます。

しかしながら個人的には、平成ゴジラの経緯を経たことで批評のあり方について考えられるようになった気がします。
もし雑言を浴びる側を慮る経験をしていなければ、これからのファンへ仕出かしたかもしれない。主張を発信するならば、やはり好きの気持ちを第一にしたい。

映画だからテレビだから芸能界だから、といったことで好き放題にモノを述べていいとは思います。しかし、創作物から想像しての浅はかな人格攻撃など認められるわけがない。

平成ゴジラシリーズにおける当時の資料を抱えている「いち特撮ファン」として、当時のスタッフへ及んでいた攻撃内容を知れば、決して他人事には出来ない。

先日に起こった事件から、自覚なさがどれだけ恐ろしいか。僅かばかりの想像力を働かせるだけでいいはずなのに、己れの主張に無責任な賛同によって気を良くすることの酷さ。

自分も含めて、他人事に出来ない、そんな事件でした。