恋する小惑星【アニメ感想】と言いながら『けいおん!』を語る
外出自粛が解除になった時が、コワい。
新型コロナが収まれば、世間が開放感に包まれます。それはとても良いことであります。たいていの人たちが望むことです。
いっせいに、さぁ、これまでの鬱憤を晴らそうぜ、となるのでしょう。
俺には声をかけなくていい。
むしろ「外出要請」なんてされるほうが、苦痛でしかない!
と、いうわけで、ここで書いている人は、ぜんぜん褒められたもんではない態度であります。病気がどうこうより我が生活スタイルを死守するため家に居たいという、不埒さでございます。
今季の作品をまとめて観ているうちに、過去の作品へ手が伸びているといった状態へ突入しています。
外出自粛ではなく、家に居られるという状態が無作為に観返しへ走らせております。
今回は、やたら過去を思い出しながら観てしまった体験記みたいなもん(笑)になっております。
ネタバレ及び独自解釈による偏見が含まれる内容であることをご了承ください。製作者などの敬称も略とさせていただきます。
恋するアステロイド
相変わらず、適当なアフィリですみません。
画像代わりに使用というコンセプトなので、見栄えを優先してます。ここで書いている人が欲しいモノの時もあります。
ともかくテキトーに選んでいると思ってください(笑)。
今回はアニメです。
特撮以外を扱うなんて珍しい、となっている状況がいけません。ましてや映画がさっぱりになっております。ブログ開幕当初とは、ずいぶん志しの方角が変わったものです。
ブログをやって、己れの性癖を理解したと言えるかもしれません。
そして、ブログを書き重ねていくほど、脱線の度合いが酷くなっていくような気がしています。良い言い方をすれば「自由にしたためるようになった」悪く言えば「読む手への配慮を失いつつある」ような気がします。
少し改善したいと思っていますが、どうなるかはわかりません。
と、いうことで『恋する小惑星』(こいするアステロイド)です。
2020年4月時点では既刊3巻まで発売されているコミックです。作者は、Quro(くろ)という女性漫画家・イラストレーターです。
作者名といい、書名にある『小惑星』を「アステロイド」だったり、一筋縄で読ませません。センスがいい、とも言えます。
当ブログで述べる感想は、2020年1月から3月まで放送された同作品のアニメ化を対象としています。
降ってくるような星空の下で、キャンプに来ていた少女みらは、あおという男の子と出会う。いつか一緒に星を見つけて、あおの名前を付けよう。どうやらもう、みらという名前の星はあるようだから。
どぎつい恋愛ではなく「ボーイ・ミーツ・ガール」これをテーマした作品は、いくつになってもいいものです。
なんて思っていたら、あおは女の子でした!
みらと高校で再会した際に、判明します。
このお話しは、ロマンスではなくフレンドシップの方なのでした。ちょっとショックを受けたことは、今となっては懐かしい思い出です(笑)。
事前情報なしで観た(アニメの場合はたいていそうですが)略称『恋アス』は、なんかに似ている。
ああ、『まんがタイムきらら』ジャンルでした、美少女四コマほのぼのギャグ系統でした。
ならば、あおは女の子だったと、オチのコマで激しく笑いを誘っていたことでしょう。
アニメ化においては、少々落ち着いた雰囲気でまとめているようです。つい騙されたのが、ここで書いている人というわけです。
新しい星を、どうやらアマチュアでも見つけられるのは小惑星らしい。
主人公コンビのみらとあお。向かうのは当然ながら天文部と行きたいところですが、あまりに弱小だったゆえ地質研究会と合併して「地学部」として存在しておりました。
この地学部というアイディアが、恋アスの肝心だと思います。
天を探究する部員と、地を研究する部員が混ざる。天と地といった真逆の方向でありながら、互いは好奇心という共通意識を持っております。
正反対だからこそ、方向は一緒という流れで天文班と地質班が、本当の意味で理解していく姿が、大袈裟に描かれていないからこそ良い。
加えて、個人的に「桜センパイ」という推しが出来てくれば、観ていてもノってきます。
また雑学となる知識も、ちょくちょく挟み込まれます。内容が天体学に地質学ですから、ロマンを触発された視聴者も多いのではないか。ここで書いている人は、そうなのです(笑)。
ただ起こるトラブルや抱く希望に対して、理解ある周囲に友人たちです。少々意地悪な言い方をすれば、主人公たちに都合よく廻ります。
これがファンタジーの要素が強ければ何の問題はないかもしれませんが、現代生活における日常をベースとした世界です。
ふと同じ系統作品において、指摘とするには強すぎる言葉でもの申されていたことを思い出したりしました。
けいおん!そういえば批難されていたな
ここで書いている人は、『まんがタイムきらら』原作としたアニメ化作品は『けいおん!』のみなのです。ここがアニメに弱いとする所以であります。
そんなアニメに弱いせいか、恋アスを観ていると、つい『けいおん!』に、その姿を重ねてしまいます。
端的に言えば、あおに「澪の一部」を見たり、イノちゃんは紬寄りな側面があるかな、と考えたりします。みらに至っては、唯ならそんなところで声を荒げたりしないぞ、と対等に眺めていたりしておりました。
そして俺はやっぱり「りっちゃん」が一番だと再確認するわけです(笑)。
『けいおん!』アニメばかりでなく、声優におけるライブイベントの映像ソフトも、何度見返したことか!2019年のアニサマにおける再結集には、胸が踊らずにはいられません。
またやってくれよ〜、と思うくらいです。
もう10年前になるわけですね・・・歳を取るわけです。
もし純粋に恋アスを検索して当ブログに辿り着いた人には申し訳ない限りです。
でも、だからこそ、まずは『けいおん!』第1期だけでも、どうですかと薦めたい。
そしてしばらく遠ざかっていた人。つまり昨年の9月のアニサマに触発されてから観た時以来(そんな昔ではないけど)の人も含めて、この機会に引っ張り出すことを薦めます。やっぱり通して観てしまいます、少なくともここで書いている人は、そうです。
思い出語りの序でです。
当時は社会的ブームと評されるほど『けいおん!』は爆発的な人気となりました。
評判になれば、いろいろ言われます。
とても「ゆるふわ」な世界です。ざっくり斬らせてもらえれば、漫画です、アニメです。女子校という舞台ではありますが、あくまで創作です。現実に則しているかどうかは、また別の話しであります。
故人となったある漫画家は『けいおん!』アニメの感想をサイトに挙げます。
内容は端的に申しますと「こんなアニメ、作るヤツも観るヤツも不気味。でも漫画は良い」といった感じです。
あまり故人のことなので多くは取り上げませんが、人格否定はよくありません。作品批判は、必ずあることです。ただ要約した以外の部分から読め取れば、ただ自分には理解できなかったという結論へ至るだけです。
ヒトはそれぞれです。特にブームとなるモノは、どこかしら前例がない部分があるものです。
認めたくないこともあるでしょう。
しかしながら、ことエンタメ作品において「モノ好き」は立派な個性です。まったく受け入れられない他者が存在することは、どんな大ヒット作品においても発生します。
賛辞と批判を並べれば、批判意見の方がインパクトある表現を使いやすい。ウケ、という観点から見れば、批難は便利な道具へ落ちていきます。
扱いを間違えれば、批判ではなく「攻撃」へなっていく。意見を返すではなく「反撃」が起こる。
まさしく灰に帰すだけで得るモノなし、としか言いようがない論戦が起こるだけです。
意見が膾炙するだけの立場にある者ならば、嫌いで終わるような物言いは気をつけて欲しいところであります。
無意味な感想など、当ブログのような程度の低いサイトに任せていただきたいものであります(笑)。
それに個人的には『けいおん!』は、ハイ・ファンタジーに属している感覚なのです。
ファンタジーをやや強引に定義するならばです。
有り得ない世界観に、普通にはいないような人物たち。けれども展開していく場面が、時に「人間の深層」を抉ってくる。
もちろん『けいおん!』は、人間の深層などを抉ってはきません。
ゆっるゆっるの、ふっわふっわな、けれども時には共感したくなる青春の一コマがある世界です。それは有り得ない世界を描いた創作物にも見られる一面です。
これもまた変種のファンタジーと捉えれば、いきり立つ必要もないような気がします。
けれど大人気になったため、人間性が露わになる群がれ方はリアルでした。そんな当時の狂想を踏まえて観れば、また違った感慨が生まれるかもしれません。
人生、どんなことでも捉え方次第で勉強になります。
『恋する小惑星』に触れているつもりが『けいおん!』へ気の向くまま及んだブログを書くことで、ここで書いている人が今回において学んだことでありました(笑)。