総括【ウルトラマンタイガ】もし1年スパンだったら?と思わずにはいられない

やはり『ウルトラマンタイガ』には少々辛くならざる得ないかな、と思っています。
ですから感動している方に水を差してしまうに違いありません。
ただし観るに値しないなどといった調子で綴ることはありません。そもそも「値しない作品などない」と思っています。どんな作品も得る得ないは観る側次第によってである、ぐらいの気概で鑑賞しているつもりです。

もし観るのではなかった、と思うとしたら、それは個人的好き嫌いが強く働いたためであります。人間だもの、どうしても個人的な嗜好に左右されることを自覚していきたい。「周囲も自分の考えにイコール」とするような発信はしないよう留意したいです。

難しいですけどね。ぜんぜん出来ていないですけどね(苦笑)

そんなヤツが総括するという『ウルトラマンタイガ』けれども実は一言で表現できたりします。

惜しい、ともかく惜しい!二言になっていますが、これに尽きます。
この想いを胸に書いていきます。

もし読んでくださった方が、異論反論でも、ともかく拙い内容と文章に触発されて『ウルトラマンタイガ』のことが頭から離れなくなってくれれば良いな、と思います。

ニュージェネの流れ

『新ウルトラマン列伝』内の放送だった『ウルトラマンギンガ&S』に『ウルトラマンX』この時期においては、まだシリーズの流れではなく、不振ならここで打ち切るとした状況にあります。
変身アイテムや変身後のギミックなど玩具としての展開がどれほど見込めるか。製作話数を徐々に増やしていく状況を鑑みても「商売となるか」見極めの時期でありました。

新作のウルトラマンが製作に耐えられるか。旧作とそれに付随するキャラクターによる版権ビジネスを中心にする展開するほうが経営的にずっとリスクは少ない。

けれども経営者なら、特にエンターティナー産業に関わるものならば、過去の遺産に頼り続ける危うさは自覚して然るべきです。

一族オーナー企業であった時期と明確に画すべきは、収益を上げるために製作しなければいけないことであります。
製作会社なら当然の考えも、経営陣が変わるまで出来なかったのです。既存ファンのイメージを損なうこととなっても、製作するためにやるべきことはなにか。泥を被ってでも現代でウルトラマンを展開するためのマーチャンダイジングに踏み込まなければならなかった。いや考えだにしなかったことは、円谷一族最後の社長が後に受けたインタビューからしても分かります。

ウルトラマン列伝においては、実験的な意味合いが強かった新作のウルトラシリーズ。放送は年半分にも満たないとはいえ、3年連続と続きます。

手応えを感じたからこそ、新作である冠を掲げて打って出たのでしょう。

『ウルトラマンオーブ』新作としては4弾目に当たりますが、ウルトラマンギンガにギンガSは話数や同一主人公である点と踏まえて、作品として「3作目」と捉えたいと思います。

少し逸れますが『ウルトラマンタイガ』はそうした世界観から数えれば、6番目。だからウルトラ兄弟6番目であるウルトラマンタロウに製作スタッフがかけてきたことは想像がつきます。
それを「単なる偶然」などと特撮評論家ならばしてはいけない。そうした事実を発見した自分に酔ってしまい、ここまでシリーズを築き上げてきたスタッフを過少するような評論を掲載とする。
ネット発言の延長線上とするならば、金額を出してまで読む価値はない。特撮という特殊な分野に対する敬意より、自己標榜する手段としての寄稿では値打ちもない。編集が書籍販売実数が下がり続ける理由を時代性に求め、上がらない原因に無自覚であれば、今後もさらに厳しくなっていくしかないだろう。

ウルトラマンオーブは実質的に「3作目」の役目を負って登場します。

「三部作」これは世界中で共通する区切りであります。
ここで綺麗に締めるか、それともここを新たな起点とするか。
当初から予定していた限りでなければ、シリーズ継続は3作目の動向次第といったケースは多い。端的に言えば、評価うんぬんではなく「売り上げられたか」に掛かっています。

平成VSシリーズとして3作目『ゴジラVSモスラ』は最大のヒットであり、平成仮面ライダーはスーツアクターへ「これが最後」と伝えられ撮影に入った『仮面ライダー龍騎』もまた予想を覆して社会現象にまでなりました。前者はVSシリーズとしては6作で区切りを付けましたが、正月恒例の怪獣映画はその後も12作品を数えます。
平成ライダーは言うに及ばず、依然として続くシリーズです。

一方、ニュージェネ前の平成期に製作されたウルトラマンは「作れば作るほど赤字」といった状況であったため、テレビ放送は持って3作品といった具合です。

平成ガメラは3作目の公開に当たって、監督は望まれる限り製作し続けるとコメントしていましたが、2作目に及ばない興収が次作へ繋げられませんでした。作品として好評でも、売り上げで示された今後の見通しの辛さがシリーズに至らなかった残念な例です。

牙狼は少し特殊でシリーズ化というより製作が許されるかぎり媒体問わず発表していく感じです。ただ実写と並行して始められたアニメシリーズも3作品で終了してしまいました。

ニュージェネは少し事情が違い、3作目『ウルトラマンオーブ』を起点するような扱いです。ここから『ニュージェネレーションヒーローズ』と銘打ち、ウルトラマンに変身する主人公を防衛チームに所属しない。『ウルトラマンギンガ』といった特殊な製作環境によって仕方なしではなく(その後『ギンガS』で所属させる)、意図して「一般人として暮らすウルトラマン」を試みます。

長年続くウルトラマンシリーズにおいて、画期的でした。ウルトラマン列伝の新作が立て直しを主としていたならば、『ウルトラマンオーブ』は、新しいことへの挑戦という姿勢を前面に打ち出してきます。演出やアイテム等における実験を踏まえ、今までにないウルトラの世界へ踏み出します。

新規のファンを獲得するために動く。シリーズ化において、必ず念頭に置かなければならないことです。厳しい物言いをすれば、原理主義には受け入れられない商品展開が製作上必須であれば、これからのファンを獲得せねばならない。

今までにないウルトラマンの世界を観せていく。
ウルトラマンである主人公が軍人ではない普段の世界にいることで、人間としての内面描写へより踏み込みます。オーブでもあるクレナイ・ガイといった一見超然としながら深い傷を抱える複雑な心象が、周囲のキャラもまた立たせます。特に好敵手は主人公が立たなければ浮き立てない。

冒険とも言える試みは商業的にも現場の手応えとしても成果を収めたと思われます。だから防衛チームとは無縁の路線を押し進め、『ジード』は歪ながらも紛れもなく父と子の物語として、『R/B』は家族喪失からの再生をテーマにして、まさしく「ニュージェネレーション」としたウルトラの世界が展開していきます。

意見が表明しやすい現代において辛辣な言葉を大きくがなられたとしても、確かに新しいファンが生まれ、実際に売り上げも右肩上がりです。

タイガにおける撮影状況は、更なるオープン撮影や爆発を許すほどへなります。

令和となって、仮面ライダーに戦隊といった東映作品だけではなく、ウルトラマンという円谷が特撮番組のコンテンツとして定着させていく。

これからの期待が『ウルトラマンタイガ』を、いつになく高い気分で待ち構えていたようです。期待の裏返しが厳しい評価を招いた部分も少なからずあると思います。

1話完結とトレギア

タイガのパイロット監督である市野龍一が放送開始直後のインタビューで、今回は1話完結スタイルでいきたいと答えておりました。
少々不安を覚えましたが、結局は各エピソードを貫く串となる主筋は存在するだろう、と思いました。

オーブ・ジード・R/Bと全話を以て語られる一大叙事詩の様相が続いてきています。シリーズであればマンネリを避けるためにも少々目先を変えたかったのかもしれない。

それでも最強のライヴァルとなりそうな『ウルトラマントレギア』が出演キャラに連ねています。なおかつタイプチェンジではない、3人のウルトラマンが1人の主人公に取り憑く(笑)まだまだアイディアはあるものだ、と感心した設定ときます。

宿敵と3人のウルトラマンが入り混じる状況に、エピソードとしては中間地点で総集編もどきを挟むことから、24.5話程度です。描くべきことは多く、ぐずぐずはしていられないだろう。

初回の冒頭からしてニュージェネのウルトラマンが勢揃い。しかもタロウ自身も出てきます。そこからしばらくは、傑作になるかもしれない、とする期待がありました。

個人的に傲慢な解釈をさせていただければ、第10話までは期待しかありませんでした。折り返し直前の第11・12話でタイタスとフーマの出自や心情を掘り下げる、もしくはタイガの父親タロウに対する複雑な気持ちなどのエピソードにして欲しかった。そうすればその後におけるヒロユキを含めた3人のウルトラマンが一心同体とする強化形態「トライストリウム」へ至るまでへ、すんなり入っていけたのではないか。

タイガ放送前の劇場版から、圧倒的な存在感を示していたトレギア。敵手のキャラに間違いがなければ、番組としては半分成功は約束されているといっていいくらいです。

ウルトラマン態において魅力がありすぎ、むしろ人間態がどうなるか懸念されましたが、ぴったりな配役を得ます。霧崎を演じる俳優がイメージ通りとくれば、あとは動かすだけです。

番組終了した今の感想としては、霧崎の行動は鈍かったように映ります。もう1人の主人公としてもいいくらいのキャラクター性がありましたが、出番自体が少ない。中盤以降から一気に畳みかけてくるかと思いきや、出張ってくる様子はない。
E.G.I.S.へ姿を現した際も、霧崎の行動をフィーチャーするというよりもピリカの伏線とする意味合いのほうが強かったような感じであります。
20話という終盤に至り、霧崎の出番ないエピソードに、当初の期待ほどには仕上がらない覚悟をしました。

存在感だけで終始してしまったようなウルトラマントレギア。神秘性を重じて、踏み込まないようにしたのかもしれません。ただ地球へ到達したウーラーが潜む海を見つめるピリカと霧崎の会話シーンはとても良かったです。なればやはりトレギアである霧崎へ、もう少し切り込んでいって欲しかった気がします。

悪とは何か?と問えるだけのキャラクラー性を持ったトレギアだから、今ひとつ扱いきれなかった感が惜しい。

はっきり言って相手はライダーである

等身大ヒーローよりミニチュアを必要とする巨大ヒーローは製作費がかかります。怪獣モノはリスクが大きいです。

古き良き時代の特撮現場は、1mしか必要ない布でも巻物ごと購入していたそうです。切り売り可能にも関わらず、大雑把な注文方法がまかり通っておりました。

現在は予算における計画性は欠かせません。シリーズを重ねるごとにミニチュアが充実していくのは、きちんと管理させているところに拠ります。
怪獣も再生どころか再使用といった度重なる登場に加えて、製作話数も半年間。本来なら長期に渡りたいところですが、予算の割合で話数を決定するところはアメリカのドラマでよく見られるところです。
けれども少ない話数ながらも、通年の売り上げが戦隊モノを追いかける位置にまできます。平成ライダーくらい爆発的な売り上げがあれば、話数の拡大はあり得るかもしれません。

ただ現状は、25話といったところです。
キャラを多数抱えた番組として、決して余裕あるとは言えないスパンです。オーブ・ジード・R/Bは、ジャグラーを含むとして、主人公ウルトラマンは2人。そこへジードはベリアルもしくは代替の配下、R/Bは愛染かツルちゃんといった敵対する相手です。

タイガは主人公ウルトラマン3人であり、敵対側は悪のウルトラマンに、ヴィランギルドなる犯罪組織もあります。加えて周囲の人々が、実は宇宙人であったりアンドロイドであったりと、設定としては前3作よりは複雑であります。

しかしながらオーブにはサムシング・サーチ・ピープルのメンツがおり、ジードにはAIBといった宇宙エージェント組織が絡み、R/Bは湊家という面々が顔を揃えます。

前3作より苦労は強いられたかもしれませんが出演キャラクターをさばききれないということはなかったことと思います。

もし1話完結のスタイルを取っても年間を通せばやりきれたような気がします。それだけのエピソードを積みきれない2クールに対する見通しが甘かった、ということでしょうか。
2クールでは厳しいことに、タイタスやフーマにおける過去の経緯をボイスドラマとして製作していることで承知はしていたとは思われます。
ただし生んだキャラクターたちに最終回を迎えさせるに当たっての配慮が不充分です。いずれも唐突感が否めませんでした。
もし過去シリーズへの回帰として1話完結重視の姿勢であり、今後も同姿勢を取り続けるならば厳しくなるかもしれません。

巨大怪獣特撮モノを通りすぎて等身大ヒーローに向かう20世紀の体験はもはや当てはまりません。
平成仮面ライダーから始まる等身大ヒーローから巨大怪獣特撮へ、もしくは等身大ヒーローのみできた特撮ファン層が着実に存在するのが現代です。

ゼロ年代初頭に製作されながら、今なお「止まらず最後まで観てしまった」とする視聴者を生む平成仮面ライダー。連続ドラマとしての高い完成度は後進における特撮番組の在り方を示しました。

現在における特撮番組の本道は、仮面ライダーが担っています。仮面ライダーをバカにするな、と言っていた昭和とは違います。
ウルトラマンは後発ぐらいの意識を持って、東映にない巨大感を見せる特撮番組として、仮面ライダーに負けない物語性を持ち込んで欲しい。

ここまで書いておきながら『ウルトラマンタイガ』個人的には何度も見返す番組です。やはり良いシーンは満載であったし、何より特撮の充実ぶりはコマ送りで鑑賞しているほどです。
コマ送りしすぎて、ビデオデッキにDVDプレーヤーまで故障を招いた記憶が甦えさせるほど特撮シーンの充実ぶりなのです。

そして最終回には、ひたすらオチをつけるため奔走しているストーリーに「惜しかったなぁ〜」と呟かずにはいられないのです。

けれども劇場版が待っていれば、今は楽しみに待ってます。