仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーションへ向けて3【仮面ライダーディケイド】10年前の想い出語り

当記事は2019年の12月に作成となっております。
そのちょうど10年前、2009年12月はどんな心持ちだったか。それを思い出すことが今回の主旨となります。

仮面ライダーを通じて、時の流れを知る。

なんて、カッコいいのでしょう。
ただ感じ方は人それぞれ、中には「なに言ってるんだが、さっぱり分からん」という方もいるでしょう。どちらかというと、これが世間大半の意見でしょうか。
ただ当ブログを覗いてくれる方々には分かってくれる人がいるはず!と信じています(笑)

カレンダーではない、番組でその年代を思い出す。それがヲタたる者の宿業であるはずです・・・たぶん。

以下、ネタバレあります、独自解釈による偏見もあります(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【ディケイド】テレビで終わらない

映画が待つ

平成ライダーは基本的にどれでもススメられる、と思っています。完成度というより、常に世界観が変わるので視聴者側の好みに合うかへポイントを置きたいです。

明るく楽しいものと言われれば「電王」を挙げ、ハード展開を望むなら「龍騎」や「鎧武」で、孤高のヒーローならば「クウガ」となる。俳優によって、という見方もあれば、学園もの刑事ものというパターンもあります。

20年20作に渡る歴史は、さまざまな作風を網羅してみせた凄さに感じ入ります。

とはいえ、もし平成ライダーと知らない人へ勧める場合は、やはり注意したい作品はいくつかあります。「ブレイド」は出だしにもたつきが見えること、「響鬼」は途惑うほどの路線変更がある。

そして「ディケイド」完結を見ない、と解釈してしまうかもしれない。なにせ続きは「映画へ」と繋がるわけだから、テレビ放送分のエピソードでは当惑させるだけになるかもしれない。

最終回終了と共に出された映画への告知。

10年前の12月は「ディケイド」の最終回の続きが観られる『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』を、とてもとても楽しみにしておりました。

ディケイドという作品

『仮面ライダーディケイド』は、2009年1月25日から同年8月30日まで、全31話が放送されました。

平成ライダー「10周年の記念作」がコンセプトです。
集大成となる、ということで開始前は歴代ライダーの登場に期待しておりました。それは「出演者」も含まれてです。

仮面ライダーディケイドこと主人公の(つかさ)、ヒロインの夏海(なつみ)が各平行世界を巡っていくとして物語は動き出します。

最初に訪れたのは、クウガのいる世界。「ゆうすけ」は「ユウスケ」でも、小野寺です。オリジナルの五代雄介ではない。
けれども純粋な視聴者でなければ、オリジナルの「ゆうすけ」が出演しないことなど、当然として受け止めます。ただでさえ演じたオダギリジョーは特撮番組に懐疑的であったところを高寺プロデューサーが口説いたようなものです。恩師とも言えそうなこのプロデューサーは既に東映を退職しています。

新たなキャストを立てざるを得ない。これまでのライダーを総括するうえで仕方がない処置であります。

ところが、これに続く各ライダーの世界においてもオリジナルの名前をもじった新しいキャストを立ててきます。オリジナル・キャストが出てくることはない。

当時のネット・ニュースでです。実名は出ていないので信憑性は甚だ疑わしいものの、かつての出演者が声をかけてもらえないことに不満を述べている、とした記事が挙がったくらいです。
印象操作を可能とするネット記事であり、匿名性を以っての記載なれば信用からは程遠いのですが、確かに思うことではありました。

けれども番組が進めば、理解できることはあります。

ディケイドが使用する『FINAL FORM RIDE(ファイナルフォームライド)』は、訪れた先の仮面ライダーを変形させて己れの技とします。これがオリジナル・キャストのままであったら、後から来たライダーが利用する形になります。あろうことか、といった感じです。先輩ライダーを引き立て役にするにしても程がある。
でもそれはそれで、とてもネタになりそうなので、やって欲しかった気がしないでもない(笑)

真面目な話しへ戻せば、オリジナルと分けたことで内容が深化を果せたように思えます。
巡った世界におけるライダーとは良い関係を結んでいきましたが、オリジナル・キャストである紅渡剣崎一真は最後で明確な敵対する意を表明します。が変身するディケイドは他の仮面ライダーと戦い続ける結論へ至り、続きが「MOVIE大戦シリーズ第1弾」であり、お正月映画としての仮面ライダーが生まれる契機になりました。

【MOVIE大戦の】ディケイド

【期待は】ディケイド

仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』は、2009年12月12日に公開されます。

脚本は、米村正二三条陸。監督は、田崎竜太です。

『仮面ライダーWの前日譚』もあるということでしたが、待つ身としては『仮面ライダーディケイドの完結編』としての意味合いが大きかったです。むしろ『仮面ライダーW』のエピソードが絡むことで、『仮面ライダーディケイド』は完結しきれるのか?結局は尻切れトンボになるのではないか、と一抹の不安が過ぎります。

平成ライダー全てを敵に回したところで、最終回は終了しています。これほど続きが待ち遠しい終わり方はありません。映画一本まるまる費やして、やっと消化できる内容とする大作までに想像は膨らんでいます。

期待は全て『仮面ライダーディケイド』へ寄せていた。そう言い切っていい公開前の心境でした。

版による違いが意味するもの

のっけからですが、販売されたソフトの異なる2つバージョンを紹介させていただきます。

通常版とディレクターズカット版です。ソフト販売において、公開に合わせた尺と監督が本来したかったとされる尺のバージョン違いを出すことは、この時期においてもはや「お約束」となっております。

ですから、観られなかったシーンが加わることで作品がより強固になっていく。たいていのディレクターズ版に見られる特徴です。

ところがこの『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』のディレクターズカット版を初めて観た時はとても驚きました。

当初「MOVIE大戦」は、各ライダーのエピソード2つと互いのライダーが手を合わせる最終エピソードの3部構成を基本とします。

映画『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』においては、『ディケイド』⇒『W』⇒『MOVIE大戦』の順で上映されました。

ところがディレクターズカット版においては未使用シーン追加だけでなく、『W』⇒『ディケイド』⇒『MOVIE大戦』の順といった構成そのものを変えていたのです。
そして個人的には、こちらの方が腑に落ちます。

仮面ライダーW ビギンズナイト』とする『W』のエピソードはその名の通り誕生の物語です。じっくり過去を紐解くように進行していきます。

いっぽう『仮面ライダーディケイド 完結編』は、バトルから始まる怒涛の展開です。ほら、やっぱり時間がないだろ(笑)と言いたくなるほど内容はぎゅうぎゅうです。ともかく急ぐしかないストーリーです。
これを逆手に取って2人のライダーが共同して強大なる敵へ向かっていく『MOVIE大戦2010』とする最終エピソードへ流れ込んでいく。

劇場のエピソード順であると、盛り上がった気分が一度冷やされる感はあります。もう盛り上がれないとまではなりませんが、ディレクターズカット版における順番の方が一気に高揚感へ持っていかれます。観ている時間が短く感じられるとしたら、ディレクターズカットの構成じゃないか。そう思っています。

正直なところ

構成上における「惜しさ」は公開直後に感じていました。鑑賞直後において冷静に振り返っていたわけです。

もし興奮していたら、多少の変、いや多くの変があっても良しとするタイプです。もし時間的制約で描き切れないならば、勢いしかありません。バタバタ繰り出しては、視聴者をゴマかすくらいでも良いと思っています。

結局、ファンは甘いのです。だから『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』は、構成をディレクターズカット版を支持したい。それがここで書いている者の「好み」に合致するわけです。

内容においては・・・ともかく終わってくれた。あまり難しいことを言わずに楽しみましょう、というわけです。ただこうしたノリは、特にディケイドで見せられたノリは、これ一本にして欲しかったなぁ〜(苦笑)。そうすれば、仮面ライダーの脚本は「米村正二」が担当すると聞くたびに、目の敵にするような意識は芽生えなかったのに(笑)残念です。

残念といえば、これだけは許し難かった点を一つだけ。
「預言者」を自称して、主人公たち同様に世界を往来できる鳴滝(なるたき)。常に帽子を被りコートにメガネといった風貌から怪しいこの男は、ディケイドを破壊者として憎悪を向ける。同様に、悪の組織ショッカーへも同様な敵意を見せる。
MOVIE大戦より前の夏映画、ライダー映画最大のヒットを記録した『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』においては、ヒロインをショッカーから逃れられるよう手助けをしています。

ところがMOVIE大戦では、スーパーショッカーの幹部ゾル大佐ときた!
ディケイドを倒すためなら悪の組織にも身を売る、とした解釈も出来ないこともないが、ならばその場で説明があって然るべきでした。あれば評価は百八十度変わっていたはずです。

鳴滝は非常に重要なキャラでした。それをぞんざいに扱ってしまったために、意味深長な世界観として終わる機会を失ってしまいました。その点が言わずにいられない残念な点です。

【十年前を彷彿】令和 ザ・ファースト・ジェネレーション

ディケイドを再見すれば

『仮面ライダーディケイド』を振り返り、「if」を持ち出すならばメインライターが會川 昇(あいかわ しょう)のままだったら、どうなっただろうと思います。未だどんな事情であったか、まったく不明なままであります。その後において東映へ出入り禁止まではいっていないようですが、理由が判然することはありません。

ともかく前半と後半における脚本家の交代が混乱を招いたに違いない。

他に「if」で考えることとして、映画で続くなどとせずテレビ放送で完結とすれば、かなり印象が違ったかもしれません。

初回でヒロイン夏海が見る夢。ディケイドがライダーを倒しているさまは、最終回の最後で、再現寸前となるライダー同士の対峙へ至る。
結局はオリジナルライダーと戦うしかなくなり、ディケイドへ変身する際に見せるの表情は観ているほうが苦しいほどである。

あのまま終了すれば、意見として喧々諤々とはなっただろう。しかしながら平成仮面ライダー10周年記念の総括は、とんでもないハードな結末を見たとして、後世において評価が上がったのではないか。続きに映画があるとしなければ、作品としての純粋な価値は高まったかもしれない。

でも映画をやってくれて良かった

『仮面ライダーディケイド』としての完成度からするとテレビ放映で終えていたほうが良かったのではないか、と思わんでもない。

それでも、やはり映画をやってくれて良かったと断言できます。

10年前の12月における公開直前の当時「待ち望む昂り」は何にも変えがたいものがあった。まさしく、わくわくといった感であります。
例えそれが「旅行は行く前が一番楽しい」に等しくても、現在でも思い出せる感情である。期待ほどでなく、がっかりだとしても感情が揺さぶられる幅が広ければ広いほど、自分の中へ残っていく。時間が経てば経つほど「楽しく話せる想い出」へなっていくから、好結果だけが幸いするわけではないのです。

そして平成仮面ライダー20周年記念に当たる『仮面ライダージオウ』を観たことによってです。平成ライダーの集大成とは、過去の再認識を何よりも第一とする。そのためにかつてのライダーの内容をいじる真似はするものの、最後は「チャラ」にする。

さんざん番組内で取り上げながらも、結局は何もなかった。過去の仮面ライダーは存在した世界で完結したままであり、ディケイドにしてもジオウにしても介入の事実はなかったことに等しい状態へ持っていく。

完成度以前に「なかったことにする」事項を堅守した集大成作品は、やりきったことをまず賞賛すべきなのかもしれません。

期待度が10年後に巡ってきた

公開前の仮面ライダー映画にあれほどの期待を抱くことはもうないだろう、と思っておりました。

しかし、さすがはエンターティメントを例年に渡って生み出してきた会社です。所詮はただのいちファンの思惑など超えたことを仕出かしてきます(笑)

あれからちょうど10年が経った2019年12月において、まさかの同じ高揚感が宿りました。

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』元号が変わって最初の仮面ライダー冬映画は、MOVIE大戦から築かれた趣きと異としているようです。
前作と今作で分け合うわけでもなく、これまでの集大成でもない。

令和第1弾の始まりを高らかに謳うような『仮面ライダーゼロワン』の世界が濃厚に展開していくみたいです。そこへ『仮面ライダージオウ』の面々が、どう絡んでいくか、といったところでしょうか。

毎週のゼロワンを観るたびに期待ばかりが昂まっていきます。現在こうした心境もまた後々になっても忘れられなさそうです。

時代は巡ってくるものです。映画がどうこう以前に、待つ楽しみを味わうことで、世知辛い生活の中にささやかな幸せを見出しております(笑)