感想 映画【ラ・ラ・ランド】#ジャズ視点#公開から数年後のレビュー

2019年11月16日

評価を下すなら、純粋に作品内容に対してでなければならない!
と、いうのはタテマエもいいところ。少なくとも当ブログで執筆している人には、まったく!当てハマりません。
作品出来不出来以前に妄想へ走る傾向があります。内容に入れ込みすぎて、あーこー行き過ぎたことを書くことに幸せを感じています。ブログを始めて、己れの性癖に気づきました(笑)

しかしながら専門誌の批評も疑うようになっております。
どんなに公平を期そうとも、書いている人間にはバックボーンがあり趣向もある。況してや制作された作品は出来不出来に関係なく、その人にとって気にいるかどうかは別だ。特にエンターティメント作品は評価が難しい。
だからといって、感情抜きで書けば、ただの紹介文になってしまう。紹介ならば、それこそ書籍販売サイトの説明文で問題ない。

やっぱり場末なりにブログを運営していくなら、カッコつければ「個性」を大事にしていきたい。くだけて言えば、評価より感情の垂れ流しを優先していきたいということです(笑)

サブカルとされる特撮・アニメ絡みでない一般映画を扱うに当たり、ブログ開設当初とはだいぶ書き方が変わっております。開始当初からしばらくは、紹介なのか批評したいのか、よく分からずです。変に意気込みすぎていた頃がありあり甦ってきます。

現在のほうがやりたいようにやっています。けれども、それが良いかはあまり考えないよう心がけています(笑)

もし映画内容の詳細を求めていたならば、ごめんなさい。『ラ・ラ・ランド』をダシにしたのような内容になっております。内容どうこうより雑談となっております。

以下、ネタバレあります、独自解釈による偏見もあります(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

ジャズへのこだわり

ジャズは聴きますか?もしくは周囲に聴く人がいますか?

ここで書いている人の周囲にはいません。聴きたいというので、何枚か貸したことはあります。誰もがそのとき限りです。

ちなみに『See-Saw』『やなぎなぎ』『Aimer』『FinctionJunction』をまとめて貸し出すことを今年度に行っております。誰やん?と問いかけられるならば、ここ最近におけるアニメ系列の実力歌手と答えておきます。こちらは気に入られたり、今後もとりあえずCDを貸して欲しいというニュアンスが返ってくる場合があります。
とりあえずCDを貸して、という方々には、多少の忸怩たるものを感じています。これではミュージシャンが潤いません。けれど、いつかライヴに繋がるはずだと信じて、こらえてます(笑)。でも初回限定の付属ソフトなどは決して貸し出しません。そこは譲れないです。

Jazz=ジャズです。問題はこちらです。

ジャズは、なぜ聴かれないか?ジャズほど聴くための指南書が出ている音楽はないと思います。クラシックも出版されている方ではないでしょうか。

誰かが「良さ」を伝えないと分かり難い。ボーカルものはあるものの、基本はインストゥルメンタル。歌のない音楽なんて、普通は映像用に作られたものくらいしか聴かない。そんなもんだ、と思います。

楽器の音を聴きたい。声でなく、音色で表現された音楽を聴いてみたい。そうした意識が持てないと、いくら素晴らしさを教授されても聴き続けられない類いだと思っております。

聴き手側がある程度の覚悟を持ってもらわなければいけない。一聴で良さを理解しろとするには、現代において異種に近い音楽です。それでも全く隔絶されているわけではなく、場所(カフェや居酒屋など)BGMとして流されていることがあるため、耳したことがある人数は意外に多いように思えます。
また「ジャズ」という言葉を知らない者はほとんどいないほど認知はされています。積極的に聴かれないだけということです。ただそれは音楽としては致命傷な状況かもしれません。

腰を落ち着けて聴くには、何が良いのか、よく分からない。それがジャズだと思います。現代からすれば、どうしても理解は要するための辛抱を要する音楽だと思います。

「老人だけが聴く音楽」主人公の男性である「セブ」がジャズの現状を憂うように吐き捨てた一節です。
ジャズの発生は諸説様々が挙がるほど時期ははっきりしませんが、20世紀初頭を起源とすれば大きな間違いにはならないでしょう。ダンス・ミュージックとして人気を博したスタイルから、やがてソロ演奏をよりフィーチャーした小編成へ移行していきます。1950年代を中心に展開したモダンジャズが、一般的なジャズに対するイメージかと思われます。

セブが求めていた音楽もモダンジャズのようでした。優に半世紀以上も前です。よくぞ続いてきた、とも言えます。

レコードが発信源だった時代に多感な時期を過ごして世代が生涯離れられなくなる音楽の一つとして、ジャズがあった。またジャズ喫茶という、このジャンルへ門戸を開く環境も多くあったようです。

自らが興味を持たなければ触れる機会が得られ難い「何でも探せるネット時代」より、何となく背伸びして飛び込んだ店や販売店が流してくるといった「無理にでも音楽に付き合わせられる場所」がある環境であった方がジャズと向き合える機会があったような気がします。

現代はジャズにとって不利な環境かもしれません。アルバムといった作品自体も、1時間越えが平気で出来るCDよりも、片面を23分目安とし、両面合わせても収録時間が30分でも一個の作品として発売できる形態であるレコードの方が向いていたように思えます。

やはりジャズ作品の良盤は、CDよりレコード時代の方が当たりは大きい。配信時代における現在がどちらに属するかは言わずもがなでしょう。

それでもジャズは無くなっていません。全盛期より廃れたかもしれませんが、熱の込もった演奏者はおり、感動して聴くヒトはいる。

配信時代の訪れは、ミュージシャンが糊口を凌ぐためには曲製作ではなく、ライブやイベントといった活動へ重きを置く流れとなりました。

ジャズもまたその例に漏れません。いやジャズこそスタジオ製作された音よりも、ライブ演奏にこそ真価があるのかもしれません。そしてジャズの生演奏に直接触れられれば、その持つ力に魅了される者を輩出できるかもしれない。
先細りながらも無くならないジャズ。それを目の前で聴ける環境を用意するため奔走するセブは、理念に合致した的確な行動を取っています。

ジャズというジャンルの音楽を諦めないその姿勢には感銘を受けます。

ジャズを愛好するキッカケとなるライブへ行って欲しい、とは思いますが、やはりそれは敷居が高い。だから余計にジャズの広いファンの獲得は今後も難しいかもしれないと思います。
誰でも聴ける作品として提供されているものの中で、取り敢えずジャズのライブとしてインパクトを強く残すものとして、マイルス・デイビスの『フォア&モア』を挙げさせていただきます。『ラ・ラ・ランド』のサントラではないのです(笑)

ジャズという音楽がBGMだけでなく、熱狂させるだけの力があることを示した好例です。もしジャズなど聴いたことがない人でも、ここで繰り広げられる演奏を少しでも感銘を受けてくれたならば、セブのこだわりに共鳴してもらえる・・・ような気がします(笑)

失恋だからこそ

『ラ・ラ・ランド』は監督であり脚本も書いたデミアン・チャゼルが出世作となった前作『セッション』より先に用意していた作品です。やっと製作にまでこぎつけた作品だと言えます。

ミュージカルなどは時代遅れ、ジャズなど絶滅したジャンルとまで言われる始末。セブの設定はジャズではなく売れないロック・ミュージシャンへ、悲しいラスト・シーンは削除など、創作する者にとって艱難辛苦の見本みたいな意見や提案です。

その後において得られた大きな評価は、業界に流れる売れるための観念を覆したこともまた大きかったように思えます。

当初のキャスティングとして、ヒロインでありもう1人の主役と言えるミアの役は、エマはエマでも「ワトソン」が報道されるほど有力視されていました。けれども諸事情により、エマはエマでも「ストーン」へ変更になります。

主要キャストの年齢が上がることになります。夢見てやってきた若者から、挫折を多く経験し後のことも考えるようになる年代へ設定が切り替わる。これが天からの配剤と言いたくなるほど作品を良い方向へ運びました。

セブミアの成功が見え出したことで、付き合いを解消します。

5年後における偶然の再会時において、女優として成功したミアは別の男性と結婚し娘までいます。5年という長さを一途に待ち続けるには厳しい年齢にしたことで、その行動に説得力を持たせます。

例えお婆さんになっても待ち続ける、とすれば美しい結末となります。もしくはエピローグで描かれた「ifの世界」セブミアが結婚して幸福な家庭を築いていたとする結末を採用していたならば、デート・ムービーとしては最適になります。

ただし、そうなれば多くの人にとって心残る作品にはなり得なかったように思えます。メロドラマとして、もしくはハッピーエンドであったならば、場当たりな満足で済まされてしまう可能性が高かったかもしれません。

一部の観客から謗りを受ける主人公たちの行動。苦い結末は受け入れ難いと意見が寄せられた作品です。
ミュージカルを取り入れ、鮮やかな色調を織り込むことで実景にはない夢のような画面作りをしながらも、ストーリーはままならない現実から逸らすことはしなかった。ある意味においてギャップの激しい作品であり、鑑賞後における途惑いは、ここで書いている者にも有りました。

けれどもハッピーエンドではなかったからこそ生まれた好評であり、また一度きりの鑑賞では終わらない映画へなりました。当たり障りなくも出来ながら、苦味を利かす方が選択されました。結末次第では評価がどう転んだかは判らない、際どいところで傑作へ踏み止まった。そんな作品だと思います。