感想【仮面ライダーアマゾンズ】シーズン2を中心に総括#沸点を迎えた後続の難しさ

現行を追いかけていく。何よりも現在の作品を追っていく。
ブログを始めて半年も過ぎ、なんとなく出てきた方針であります。特撮作品のオススメは?と聞かれたら「今、放映されているもの」巨大だろうが、等身大だろうが関係なし。関係ないと言えるくらいに、現在の製作陣はやってくれている、と思います。

もちろん失敗作もあるでしょう。

けれども全て成功作などは有り得ず、またエンタメ作品は何を成功とするかの基準は各個人に拠ります。
それに失敗がなければ批評を連ねるブログなど書けなくなりそうです(笑)

当ブログで主に扱う特撮など、一般からは外れた分野であります。昨今世界的にヒーローものがヒットを飛ばし世間的に認知されたと考えられがちですが、ハリウッド製作であるというお墨付きのおかげである面があります。

作り物っぽい日本の特撮は観る気になれない。そうした意見は見受けられます。

変にハリウッドを真似ず、取り入れる部分は取り入れて独自の技術を発展させているからこそ東映も円谷も魅力的に写りますが、一般的な考えには成り得そうにもありません。現実と違和感なくが世間的見方なのでしょう。

特撮が好きな時点で、多少は変わっている。変わっている幅は敢えて言及しないとして(笑)、変わった趣味である点は自覚していきたいものです。少なくとも「世間一般に受け入れられる作品を」と求めていくのではなく『特撮を趣向する変わった人たちの拡大』を望んでおります。
狭量とも言える考えです。けれども自分が愛着を感じる作品はどうしても「変わったもの」へ偏っていれば仕方がありません。
そんなマニア的な作品であっても売り上げがなければ製作されません。

子供じみたとされる作品から離れられない者を一人でも多く!異なる意見がぶつけ合える幸せの土壌がより広がって欲しい限りです。

そして量産され続けられれば、既存と画す作品が不意に生み出されたりします。それは視聴する側だけでなく製作側も思い掛けず、といった拍子な気がします。

以下、ネタバレあります、独自解釈による偏見もあります(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

仮面ライダーアマゾンズ

仮面ライダーアマゾンズ』Amazonが配信する番組として、2016年4月から6月まで全13話がシーズン1、2017年4月から6月まで全13話がシーズン2、そして2018年5月に劇場公開『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』。
一つの作品が3年の歳月をかけられて創り上げられる。テレビ放映でないため制約を取り払われた東映スタッフが底力を見させつけてきます。合成をなるべく行わないアクションが、どういった効果をもたらすか、改めて認識させられました。なぜ加工処理だけの表現に委ねないか分かるシーンが満載です。

けれども一番に衝撃を受けたところは、そのドラマ性です。
正確に記するならば「シーズン2」に限ります。シーズン2を鑑賞した後は、あれだけの力作であったシーズン1が前振り程度くらいにしか捉えられなくなりました。

シーズン2を観終わった直後における『仮面ライダーアマゾンズ』に対する熱は相当なものでした。沸点に達したと表現するくらい高かったです。

【シーズン1】ハードなヒーローもの

巨大製薬会社が生み出したアマゾン。食人本能を有す人口生命体で、不慮の事故により4000体が脱走、そのまま人間社会へ潜伏してしまう。
アマゾン細胞の研究者の1人である鷹山仁(たかやまじん)は自責の念から、自らの身体へアマゾン細胞を取り入れることで「仮面ライダーアマゾンアルファ」へ。巨大製薬会社の女性役員が自らの遺伝子とアマゾン細胞を掛け合わせて誕生した水澤悠(みずさわはるか)こと「仮面ライダーオメガ」となる。
巨大製薬会社も後始末のための「駆除班」を設置。クセのあるメンツながら、モグラアマゾンのマモルと共に活動する。

アマゾンは全て狩るとした鷹山仁。食人の本能を抑えきれなかった自分に後悔するマモルの姿を見たことや、戦いを経ていくなかで罪なきアマゾンならば守っていくことを決意する水澤悠

巨大製薬会社が実施したアマゾン掃討作戦で一気にその数を減らしたアマゾン。人間としての自分とは決別しアマゾンを守る立場に立った水澤悠に対して、鷹山仁は全てを抹殺するための行動を崩さない。

両者の激突で幕を降ろすような形で、シーズン1は終わる。

そこには、カッコ良さがあった。仮面ライダーアマゾンである水澤悠鷹山仁の2人は強敵に共闘したことはあっても、信じる道は相半ばである。譲り合うことは決してない両者の去り際は、行く先が茨を予想されることで哀愁を感じさせていた。

ハードでありながらも、まだヒーローものの枠内で収まっていた。

【シーズン2】突きつけられる現実

「あさましさ」が徹底的に描かれていた。

個々によって性質や傾向も異なっていたに違いないのである。食人しないにも関わらず「アマゾン」といった括りだけで、何をしてもいいとする。自分たちこそのルールを楯に取り、こちらに属さない相手であれば、こちらの都合で裁断を下す。現代になり、ますます炙り出されてくる人間社会の悪癖。けれどもなんだかんだ言っても都合良い生活へ身を置いているから、不都合な事実にはあえて蓋をして正論をぶるしかない。
その正論も誰のためのものであるか。普段は考えを止めている思考へ突きつけられてくる想いだ。

利用できるならば、倫理は都合よく放り出され、勝手が悪くなれば処分にためらいがない。人間を守るとしながら、内実は我欲に突き動かされるまま。社会のためとする大義は非情な行為の隠れ蓑にしかすぎない。

死者になったからアマゾンにされた少女イユと、人間であろうとしたオリジナルアマゾンであり「仮面ライダーアマゾンネオ」であった千翼(ちひろ)

千翼などは、いったい何のために生まれてきたか、分からないままだったはずだ。急速な成長のなかで、母親を食したのではないかとの疑惑に苛まれ続ける。幼少期はアマゾンに育てられたにも関わらず、他のアマゾンと同等に見られれば激昂する。
時には保護・育成された施設から抜け出たことは実験体とての扱いが第一理由であろうが、自分探しであった側面もあっただろう。

イユと出会って、千翼の全てが決する。
一目惚れと称するには、千翼自身が胸の内に湧く感情を把握できないもののように写る。恋や愛といった定義より、ずっと純粋すぎる想いで、ただ一緒にいたい、大事にしたい。死体からの蘇生品にすぎない意思なき相手でに意が通じなくても一途に心を寄せる。

周囲の人間は、そんな純粋な想いさえも利用する。千翼イユの身をネタに脅迫し脳死状態という、実質の死を強要するのである。
人間をアマゾン化させる体質を持ってしまった千翼。しかしながら接触や空気感染は有り得ず、水分を媒介にしなければならないと限定的な条件なのである。管理は容易なはずなのだが、自分に降り掛かるかもしれないといった恐怖は、権勢を持つ者ほど強く宿すものである。
危険を取り除くというお題目で場当たりな排除へ出るわけである。

暴走といった「オリジナル」のアマゾンにしかない破壊力で千翼は逃亡することになる。だがアマゾン狩りをする父の鷹山仁に、存在が危険として水澤悠が、そしてイユを引き連れたアマゾン駆除部隊に追われるという悲惨さである。

不遇なる出生であっただけで本人には与り知らぬところで生命を狙われる。本人すればこれ以上はない理不尽は見舞われている千翼だが、生きたいとだけの本能に支えられて逃げ続ける。
執拗に追ってくるのは父親である鷹山仁、そしてイユとくる。近しい相手ほど襲ってくる。戦う。痛々しさには目を覆うばかりだ。

もし千翼が人間の手に渡らず、マモルを始めとするアマゾンたちと共にあったら、どうなっていただろう?アマゾン化した母親と会えただろうし、マモルの意識を変えていたかもしれない。

助けに入るが守ってはくれない水澤悠が変身する仮面ライダーアマゾンオメガ。執拗に追ってくる人間は、仲間を惨殺もしくは実験体としてさらっていく。実験体とされたアマゾンがどんな目に遭ったか、その末路は確認していることだろう。でなければ、あれほど旧駆除班のマスコットとして優しく愛らしいキャラであったマモルが人間を拒絶する冷たい変貌を遂げるはずもない。

マモルたちと深く関わっていたならば千翼は仮面ライダーアマゾンネオになっても、鷹山仁こと仮面ライダーアマゾンアルファや人間と戦ってくれた可能性は大いにある。

けれども差し伸べられる手はなく、目前でひたすら仲間が虐殺され、追い詰められた挙句の行動しか取れなくなってしまう。いや最後の最後で旧駆除班のメンバーは変わらぬ気持ちを示してくれたが、遅きに失した。旧駆除班が属する側「人間」へ心を預けたくても、アマゾンの仲間が全て失われてからでは出来るわけがない。

大量の人間がアマゾン化される事件も、本を正せば当の人間へ原因が行き着く。人間だけ同じ種族に悪魔のような所業を行える本質は、大義名分を免罪符と勘違いした時に発揮される。利害のみや思い込みなどといった、考えることを止めた状態へ陥っていく。

千翼の必死なる想いが叶い、イユは共にいることを選択する。だがそのために廃棄システムを作動させられ、イユは父親に食われて死亡した際の記憶が甦える。発狂ともいえる錯乱状態で駆除隊を殺害していく。殺された側は憤るわけだが、しかしこれも原因は殺される側が引き起こしたことである。

イユが殺さようとしている。原因は廃棄システムを作動させた本部にある。なれば千翼が向かうのは当然である。

仮面ライダーアマゾンネオとなって千翼が取った行動は、ヒロインを救おうとするヒーローそのものである。
ただし相手が人間であった。ただそれだけのことなのである。
立ちはだかる相手を倒していくが、それが怪人ではなく人間だったというだけである。ただ相手が人間というだけで、悪事になるのか。人間相手だから手を下してはいけないとした、決めつけの理由でしかない。

アマゾンと生み出すきっかけとなった巨大製薬会社の会長である老人が現場へやってくる。アマゾンを擁護するような態度を見せれば、現在の駆除隊隊長が血まみれの手で詰めよる。現実が分からないのか、といった具合である。
対して、会長は泰然としている。偶発にしろ生まれた生命を否定するものではない。新たな連鎖に人間もまた従うべきだという態度なのである。
この会長でもある老人。当初はアマゾン計画を利用しての悪だくみを画策しているように思われたが、実のところはアマゾンという存在を人間側の当事者において唯一受け入れている人物であることが判明する。積極的な保護へ動かないのは、隠居もしく影の立場として、もう何事に対しても関わる気がないのか。それともすっかり人間に愛想を尽かしていて、何をしようが高みの見物を決め込んでいるか。この世に存在したければ、自分の力で生き残れということなのか。

仮面ライダーアマゾンネオとして戦った千翼だが、結局は建物にすら辿り着けない。強大なオリジナルの能力が続けられない。続けていたら、阻む人間に水澤悠が変身したアマゾンオメガを撃退できたかもしれない。しれないが続けられないシステムが埋め込まれている。

イユの異常に気を取られたことを契機に敗れ、変身が解除となる千翼。そこへ撃ち込まれる銃弾の雨の中へ飛び込んでいくイユ。そのイユをまた庇う千翼へ銃撃は続く。あまりに無垢なふたりの姿に、銃撃が止まる。
人間側におけるただ一度だけの人間らしい行動が見られるのである。
人間らしいといえば、利得を画策するトップは安全な場所から一切に出てこない。命令するだけと推移を見守るだけである。

悪の組織を人間へ置き換えた構図として簡単には片付けられない。アマゾンに対する非道な行為は、現実社会でも起こっていることだ。悪辣な行動の手本と言える局長は物語上の架空ではなく、実際にいる人物像なのである。

守りたい人がいるということで、水澤悠は人間のために戦う。ただ鷹山仁にも指摘された通り「自分の都合で守りたい者を選別している」だけである。千翼と戦ったことに義妹の存在が大きかったようだが、その義妹の手を振り払ってアマゾンたちへ走ったはずである。
けれどもアマゾンを守りきる意志はない。最後に義妹へ残ったアマゾンである自分を撃ち殺すように言っていることから、志しとしては人間へ寄せていたことが分かる。結局のところ、マモルらアマゾンは不要な怪物であり、人間を上位に置く結論へ至るわけである。

鷹山仁もまた贖罪へ拘泥する様は、元研究者らしい潔癖症にしか写らない。自らの失敗を取り返したいためだけに、妻や子を手に掛けることになる。救われないでは収まらない悪しき行動と断じられてもおかしくない。

逃げ出す形で千翼が向かった先は、イユが幼き頃に楽しかった思い出を宿すふれあいパークである。そこでおままごとのように泥でケーキを作るイユに笑顔が浮かべば、我が事のように喜ぶ千翼である。ふたりで作り、もはや動く力を失ったイユを背にした千翼が下手な唄を歌う。
自分を食い殺した父が幼い頃に歌ってくれた、また一緒に口ずさんだその歌を聴きながらイユは、今背負ってくれている人の名を呼び「楽しい」と告げて事切れるのである。
千翼が生まれてきた意味は、この瞬間のためだけにあったのかもしれない。使役させられるため活かされたイユが再びつく最後は、凄惨な最初の最後と打って変り、穏やかな安らかなものに出来た。それがオリジナルのアマゾンとして生まれただけで消されるという、理不尽な運命に呑み込まれた少年が果たせたたった一つの出来事であった。

主人公である2人の仮面ライダーアマゾン、水澤悠鷹山仁も根本は一緒なのである。少し水澤悠の方が同情的な行動を取るだけである。厳しい表現をすればヒーローイズムに捉われるまま、考えることを止めてしまっている。
この悲劇は人間の行動原理によるものだが、仮面ライダーアマゾンの2人の行動は加担であり問題をより一層深くしただけである。

以上をまとめれば、ここで書いている人は『仮面ライダーアマゾンズ』のシーズン2にとても満足したということを言いたいわけであります。

【THE MOVIE 最後ノ審判】シーズン2はなかったことに?

シーズン2によって、昂ぶるだけ昂まった『仮面ライダーアマゾンズ』けれどもそれなりの人生経験上から考えたことは「もうこれ以上はないだろう」感動が沸点にまで達した自覚はあります。
同主人公におけるシリーズとして、まず超えることはない。同じくらい感動的な演出をされても、2シーズンの最終回で馴らされてしまっています。つまり作り手ではなく、観客たる自分自身の問題というわけです。

それでも感動させてくれた作品です。観られるものならば、いくらでも観たい。設定が強引で作品のレベルを下げることになっても、千翼やイユが救われる話しが出来たら嬉しいと考えるクチです。
作品の質よりキャラという、あまり感心されないファン気質全開なわけです(笑)

完結編が劇場公開されると発表されます。

映画という尺の中で、あの濃い本質を描きれるものだろうか?しかも脚本が小林靖子から高橋悠也となった時点で、期待しすぎないよう自らへ言い聞かせます。

高橋悠也を悪い脚本家とは思いません。むしろ逆です。『仮面ライダーエグゼイド』を担当した、ある意味においては楽しみしていたくらいです。
けれどもシーズン1・2と濃密に一人で積み上げてきた小林靖子でない、とした時点で引き継ぎきれないだろう。それに仮に小林靖子が映画を担当しても、シーズン2のラストを超える感動をもたらせたか。少なくとも判断はそう容易く付くことではない。

ただ劇場では若い観客が多く見受けられた。十代と思しき者もけっこういた。テレビ放送ではない番組にも関わらず、足を運んできたくらいだ。きっと期待はもの凄かっただろう。
自分も十代で視聴していたら受けた衝撃をより膨らませた期待を以って席に着いただろう。

もし、である。
映画が『最後ノ審判』などと完結編であることを謳わずの公開であったら、評価がだいぶ違っていたように思う。単なる外伝もしくは番外編くらいの気持ちで観てみたら、一方のアマゾンライダーが死去した様子に驚いただろう。ここまでやるか、と唸っていたかもしれない。

もしくは「シーズン1」の次であったならば、それほど不平を鳴らさなかったかもしれない。実際に映画は「シーズン2」をほとんど踏まえていない。登場人物を確認する程度の関わり具合である。
鷹山仁がその最後に至り、妻でありオリジナル・アマゾンであった七羽の幻影に抱かれる。そこに千翼イユが加わったらシーズン2は必須となっただろうが、必要とされたのは共に過ごした女性だけである。

あえて「シーズン2」を踏み込まずいたか、踏み込めずにいたか。

映画は配信シリーズを知らない者でも観られるようにした跡がある。何も知らなければ意外と結構な映画だったかもしれない。あと加えるならば『約束のネバーランド』を知らなければ、もっと楽しめたような気がする。

一個の作品としては、それなりに良い出来だったのかもしれない。

しかしながら、興行的にも銘打つしかない「完結編」高まる期待に集うのは、シリーズに感動するままにやってきた観客である。映画としてまとめられた内容は、力がないにも甚だしい限りに映ってしまったことは仕方がないことだろう。

酷評されるほどとは思わないものの、完結編があれでは困る。

何が何でもアマゾンズシリーズを続けろとは言わないが、せっかく配信ならではの映像コンテンツが切り開かれたわけである。今後へどうか繋がっていくよう願う次第なのであります。