【仮面ライダージオウ絡みで平成仮面ライダーの思い出語り その6】仮面ライダー剣#珍しくハッピーエンドに異議を唱えよう

2019年8月8日

終わる、終わってしまう!これを書いている時点が、2019年7月下旬。『仮面ライダーゼロワン』は、9月1日から放送と発表されている。
『仮面ライダージオウ』に乗っかって、平成ライダーの記録というより、思い出を残そう。残すことに意義があります。あるのですが、果たすためには、のんびりしすぎているようです。

ジオウが放映中に残して置かないと意味がないシリーズです。時間と共に作品に対する印象が変わる恐れが高い、ここで書いている人です。今現在を刻んでいくことが未来へ繋がる。ジオウに乗っかってカッコ良く決めさせていたいだければ、そんな感じかなといったところです。顔に似合わないことを書いてしまったな、とちょっと恥ずかしくなっている、ここで書いている人です(笑)

以下、ネタバレあります、独自解釈による偏見もあります(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【最初の挫折】仮面ライダー剣

これから書くことは、あくまでここで書いている人の個人的状況です。世間の動きと合致するものではないことをご承知ください。

なぜ、こんなことを書くかというと、特撮を述べる記事において個人体験があたかも世間の流れであるかのような書き方をたまに見かけるからである。
端的な例を挙げれば、「複数の友人から、子供に見せた特撮番組のうちウルトラマンが一番興奮したということだった」といった内容です。ここ最近に出版された書籍に記載されていたものです。

えー、まず複数とは何人なのか。見せた子供にはどれほどの特撮番組を見せたのか。積極的に特撮番組を観せる親の忖度は入っていないのか。あまりに漠然とした結論ありきの中味です。
別にいいんです。雑誌のちょっとした記事だったり、ブログ中だったら。むしろこの頃は疑って読むことも必要だと言い聞かせている自分にとって、有り難い練習台になります。
けれども高い金額払って購入した、箱入りで専門書の体裁を取った特撮本でこれをやられると厳しい限りです。今後において二の足を踏む事例となってしまいました。

狭い中で物事を決してしまう傾向は自戒へ及ぶところです。羽川さんではありませんが「知っていることだけ」で語っていることを忘れずにいきたいものです。とはいえ、あまり根を詰めすぎると書けなくなるので、テキトーも多いでしょう。そんなブログですが、今後もよろしくお願い致します。

終わってしまいそうな長い前置きはここまでにして『仮面ライダー剣』です。

クウガはまだまだで、アギトでぼちぼち、龍騎で爆発!これが個人的な周囲における反応です。

クウガの頃は「まだ仮面ライダーなんて」と少々バカにされた態度を取られたものです。少々ですから相手は軽い気持ちだったでしょう。けれどもバカにされた方は忘れないものです。たぶん、一生でしょう。こうして闇の縮図が出来あがるわけです(笑)

アギトになると、ちょっとマニアックな友人たちが高評価をくれます。G3ユニットこそ物語りのキーポイントだ!とくすぐりを入れるような訴えが効いたようです。ヲタもしくはヲタ気味には正面から行ってはいけないことを学ばせていただきました。

龍騎に至っては、モテ期がきたなぁ〜。なにせ女性から、既婚の女性からだけど(笑)映画のお誘いがきます。このおじちゃん、ちょっと変だけど大丈夫よぉ〜、とした子供への言い回しが気にはなりますが、映画の前にすれば瑣末なことです。おもしろかった、と子供より親たちのほうが感銘を受けている状況に時代の到来を感じたものです。

この勢いのままファイズへ。個人的に映画へ連れ立つ最高人数が、夏のファイズでした。ここが第一次期のピークでしたね。作品どうこうではなく、まだ平成仮面ライダーはブームであり、盛り上がりも一年も過ぎる頃には飽きられる。もう4作もやっている、そんな空気を感じました。

そして、5作目として『仮面ライダー剣』スタッフにも大きな移動がありました。開始されれば、未だに揶揄される役者の演技に、流れが悪いストーリー展開。特に、お母さま方の受けが良くなかった感じです。龍騎にはあれほど熱狂していたのが嘘のようです。秋の空と女心はなんとやらです。

【仮面ライダー剣】好きとか嫌いとか

自分の態度をはっきりさせれば『仮面ライダー剣』は好きである。
好きばかりは問題だ、とする鼎談があった。この記事を読んだ個人的な感想は、である。好きばかりではジャンルがやせ細るだけだ、という意見はいいが「ものごとを見る目を養ってやらなければいけない」といった態度が付随するから問題なのである。
「ものごとを見る目」それが、何を基準としているかである。作品は出来だけで決するものではない。作品によっては悪いもまた魅力として昇華してしまうのものだ。ただ良いだけを基準とされたら、大勢の視点に合致するかどうかで落ち着いてしまう。観客をいかに獲得したか、もしくは評論家に多く受けるか。結局は多勢に押される形だ。

10人いたら、8人に酷評されても、2人は好きになる。もし自分が8人側で承服できなくても、2人が気に入った事実は受け止めたい。好きという感情をわざわざ本人に向かって諭す真似は乱暴である。本人たちの与り知らぬところで騒ぐ(笑)これが礼儀だと思っている。

長々と予防線を張ったところで『仮面ライダー剣』である。
敵怪人を倒すのではなく、封印して己れの能力とする。そのため当初は苦戦していたが、やがて倒し封印した数が増えてくれば、ついに必殺のライダーキックへ至る。
こう書いていると、とても胸熱な展開に思えるが、残念ながら当初は、ぐだぐだしたノリでした。既に論評されているが、ダッシュを失敗した非常にもったいない典型的な作品である。最初が悪いと、いつまでも良くない印象を引っ張る。作品全体の評価まで定められてしまいかねない。

ずっと盛り上がっていながら最後に期待を裏切られるパターンと、それまでつまらなかったのに最終回だけ感動的なパターン。どちらがいいかと言われれば個人的には後者だが、収益の獲得を目指すテレビ番組としては明らかに前者でなければいけない。

途中参加した脚本の井上敏樹が、現場に活気がないと発言するほどだった。

しかし仕事を経験したオトナになってみればである。
今ひとつだったメイン脚本家を交代し、新たなアイディアを盛り込み、初めてオープニングの後期版を用意する。投げ出さずに、現場の立て直しを必死に計ったプロデューサーの仕事ぶりは素晴らしいと思う。
常にうまくいくなど、あり得ない。試されるは、悪い時期にどういう態度や行動が取れるかだ。責任を他になすりつけて放り出すが、たいていのトップというものかもしれない。あくまでこれは個人的体験に基づいた主張であります(苦笑)

それにおもしろいもので、欠点ゆえに考える時間を割かれ、ハマってしまっていることがある。まさしく嵌められた感じである(笑)。悪かったおかげで、良い面を必要以上に捉えてしまう。ここまできたら、もう好きという状態である。わざわざ欠点を指摘もらわなくても結構な状態になるわけであります。

【仮面ライダージオウEP29/30】仮面ライダー剣が終わっちゃった?

『仮面ライダー剣』その終わりは、アンデッドであったとアンデット化した剣崎が二度と会わないことで、モノリスからの審判を逃れ世界を救うといった悲しい決着でした。
超全集における、その後へ触れた短編においてもかつて共に戦った仲間が寿命尽きていくなか、剣崎は不死のまま今日も孤独に生きていく。胸を締め付けられるようなお話しでした。

仮面ライダージオウにおいて、取り上げられた仮面ライダー剣はテレビ最終回の続きでした。

が人間へ身を寄せる最大の理由となった、少女の天音。ジオウにおいては、すっかり一人の女性として成長しています。
その天音に危機が訪れた時、は変身してしまう。それが剣崎を呼び出してしまう。多少つっこみたくなるかもしれませんが、細かいことは言わないでいきましょう。

なにせこの後に仮面ライダージオウは強大な能力を得ます。それは世界を破滅されるほどの剣崎の力を吸収したからです。そうなのです、仮面ライダー剣とは人類全てを巻き込むほどの壮大な世界観にあったことを再認識させてくれました。

助かった天音もしっかり自分の道を歩むようですし、剣崎もこれからは普通の人間として生きていくようです。

いやぁ、めでたし、めでたし・・・て、これ、完全に終わっちゃっているじゃんかよ!いきなりハッピーエンドがやってきた!

と、いうことは、まずはカメラマンとして生きていくでいいだろう。
剣崎は取り敢えず、橘さんや睦月に広瀬さん、虎太郎に挨拶した後にどうするのかな?やっぱり清掃員になって、かつてライダーをやっていたことを懐かしむ。しかし、そこへアンデッドが現れ・・・なぁーんだ、映画『MISSING ACE』に繋がるわけねって、繋がらねーよ!あれはを封印した後のストーリーだ。

長年、交わることができない剣崎の悲しい運命として抱えていたから、こうしたハッピーエンドにされても心中複雑である。これはこれでパラレルにして、もっとじっくりとした形でハッピーエンドにする逸話を作ってくれません?新作です、新作を出してください。

ファンとは得てして身勝手なものなのである。