伊藤 計劃原作ムービー化の一環【ネタバレ感想】アニメ映画『屍者の帝国』

気にはなるけど、なかなか手が伸びない。そんな経験は誰もが経験あることと思います。どうしてそうなるかと考えれば、やっぱり好奇心と時間の兼ね合いでしょうか。数あるやりたいことの中で、何を優先していくか。
ここで書いている人が、ここを読んでくれている人ならば、本能の赴くまま観て読んで聴こうとしていたら生活に収集がつかなくなることは理解していただけると思います。人生とはかくも思いならぬ有限の長さです。やはり選択は真剣にならざるを得ません。失敗の予感が強い作品でも、それはそれと覚悟を決めてかからなければならない。ならば素晴らしい作品を求めればいいじゃないか、という気がしますが、それはそれでつまらない。
時に失敗から学ぶことは多いのだ・・・ということではなく「名作ばかりじゃ疲れるでしょ」が本音だったりする。

だから伊藤 計劃などは評判聞く限り敷居が高すぎるようで、なかなか手が伸ばせない。体調壊してからは、どうも情報量が多いハードSFなんぞはしんどい。けれども気にはなっている。映像化だったら何とかと思って観てみる。
そう問屋が卸さなかった(笑)。自分などが考察などとおこがましい、妄想です、妄想を必要とする映画だったのでした。

以下、ネタバレが含まれます。独自解釈も酷いかもしれません。どうか平にご容赦のほどをよろしくお願いします。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【屍者の帝国】原作

鑑賞後に知ったのですが、この作品は伊藤が草稿30枚を残して逝ったものを円城 塔(えんじょう とう)が引き継いで完成を見たものでした。
『“Project Itoh”の一環』との触れ込みでしたから、少し突かれた想いです。ノイタミナムービーだよな、フジめ、だましたな(笑)というノリを多少は踏まえつつ、もっと円城についてフィーチャーしてくれても良かったように思います。

2012年8月に発行となった原作小説の大半は円城が書き上げたものでした。ページ数にして、525頁(文庫)。ほとんどというか、円城が書いたと言ってもいいような気がします。もっとも設定など基本部分は伊藤のものなのは間違いないでしょう。ただストーリーやアイディアなど、どこまで遺していたのか。伊藤の創る世界は複雑そのものです。ただでさえ引き継ぎ書くことの困難さを思えば、大変としか言えない執筆だったはずです。

伊藤円城。年齢も近い同じ時期に小説家としてデビューを果たし、交流もあった二人です。同じ仕事をしていた友人が先立ち、一人残されながらもなお続ける。『屍者の帝国』は作者の執筆過程を抜きには語れない内容なのです。

【アニメ映画】屍者の帝国

映画『屍者の帝国』は、2015年10月公開。上映時間は120分。

主要キャスト

ジョン=H=ワトソン            …… 細谷 佳正
屍者フライデー               …… 村瀬 歩
フレデリック=ギュスターヴ=バーナビー   …… 楠 大典
ハダリー                  …… 花澤 香菜
ニコライ=クラソートキン          …… 山下 大輝
アレクセイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ …… 三木 眞一郎
山沢 静吾                 …… 斉藤 次郎
ユリシーズ=シンプソン=グラント      …… 石井 康嗣
ミス・マニーペニー             …… 桑島 法子
M                     …… 大塚 明夫
ザ・ワン                  …… 菅生 隆之
ナレーション                …… 二又 一成

【あらすじ1と感想】世界設定

「スチームパンク」聞いたことがある言葉です。ここで書いている人が、パッと浮かぶのは、大友克洋が脚本・監督したアニメ映画『スチーム・ボーイ』目が痛くなるような細かい映像でした。
でも正確な意味として、しっかり捉えておりませんでした。イギリスのヴィクトリア調のファッションやスタイルのみを取り込んで構築された舞台。価値観や道徳観といった精神的雰囲気はリベラルなものが取り入れられているパターンが多い。う〜ん、まぁ昔のイギリスの見た目を製作者の都合で取り入れている、それでいいでしょうか(笑)。そう考えると『スチーム・ボーイ』は非常に良い喩えだと自画自賛です。

この「スチームパンク」の世界に、屍体蘇生術の普及という設定が乗っかります。
確立したのは、ヴィクター・フランケンシュタイン。魂なきまま動く屍体といえばゾンビを思い浮かべますが、ここでは生者の意向に沿って働きます。兵士として、労働者として、生活になくてはならない道具としての屍者が世界中に根付いています。

冒頭で説明された世界観だけでも、やられてしまいました。屍者さえも必要とあらば、生活に加えられる人間の逞しさ、言い方を換えれば「ふてぶてしさ」をよく取り入れたものです。当初は忌み嫌われていた屍体蘇生術も、戦場へ送り込まれる夫や子を守りたい女性たちから受け入れ始められていった流れが見事です。

世界観だけでも、この作品を手にして良かったと思ったくらいです。

【あらすじ2と感想】クライマックス直前まで

主人公は、ワトソン。ロンドン医学生で、友人に蘇生技術を施していた。フライデーと名付け、記録係として常に同行される。真の目的は、言われままに動く屍者のフライデーに魂を吹き込むことです。劇中の解釈を取れば、屍者は魂を失うことで生前より21g体重が減る。そこへ擬似霊素をインストールして動かすが現段階の蘇生技術。
ワトソンフライデーへ自らの意思で行動する本物の魂を吹き込むことを真の目的としているわけです。

屍体蘇生は厳重に政府の管理下に置かれている行為です。違反を起こしているワトソンの許へ逮捕の手が伸びてきます。そこで逮捕を逃れる代わりに、ヴィクター手記なるものを盗み逃亡したカラマーゾフを追う任務に就きます。
任務の随行にフライデーはもちろん、ボディガードのような者としてバーナビー。道中にて助けてくれた謎の美女ハダリーなどが登場します。

辿り着いた先にいるカラマーゾフは、意外にもワトソンたちを歓待してくれます。ただそれは暗殺指令を知り余命がさほどないことを悟ったカラマーゾフの思惑から出た態度でした。魂を吹き込むことなど不可能なことを知らせ、求めていたヴィクター手記は日本のどこかにあることを教えます。手記の破棄を訴えて、屍者の身へ落ちていきます。

言われたからと言って、諦められないワトソンは日本へ向かいます。研究所にあるヴィクター手記を手にするところまでは行きます。しかしながらフランケンシュタインが最初に作り出した屍者ザ・ワンによって奪われてしまいます。

廃棄できずヴィクター手記を強奪されたワトソン。可能性を信じた選択が、屍者が生者を襲う、まさしくゾンビ化させる機会を敵に与えてしまいます。多大な被害が出たことによって、敵の陰謀を阻止することが第一とする考えへ至ります。
実は機械人形だったハダリーバーナビーを伴って、敵本拠といえるロンドン塔へ向かいます。

上が、クライマックスまでの流れです。相当はしょっているつもりです。未見の人のために全力で隠したと捉えていただけると有り難いです。細かくと書きだすとキリがないなから、という面も告白いたします。

ここまで観た時は、この映画はテレビの再編集版かと思いました。映像の出来の良さは映画用に手直したのだろう、と。それだけストーリー展開が大忙しです。原作自体が分厚いものであれば、2時間といった昨今において恵まれた尺の長さを以ってしてもまとめきれられなかったようです。もしテレビとしてワンクールの放送を与えられていたら、と思わずにはいられません。
良かっただけに惜しさが目立ってました。

【あらすじ3と考察もどき】ラスト

クライマックスというべきロンドン塔の決戦。
アクションあり、亡き友人の声が聞こえたりと、そして最後に敵の野望を砕きます。映画として非常にまっとうな盛り上がりを見せます。

崩れゆくロンドン塔を見上げるワトソンの手にはヴィクター手記があります。
ハダリーも機械人形である件で悩んでいたことに決着が見られました。バーナビーも無事です。

これで万事めでたし、と思いきや、ここからです。
ワトソンは自らに対しインストール作業を行います。手に入れたヴィクター手記を打ち込んでいるようです。意識を失くしていくなかでフライデーに語りかけます「もう一度君に会えるのだろうか」と。
エンディングになります。流れ出した曲がエンディング・ロールの途中で終わります。代わりにフライデーのしっかりした声で行う独白へ切り替わります。

エンディング・ロールが終わり、映し出されるのは4年後とされた舞台。
ワトソンは、相棒シャーロック・ホームズの馬車に乗り込んでいます。それを見守るはバーナビーと、アイリーン・アドラーと名前を変えたハダリー。そして独り屋根の上から微笑むフライデーでした。

上が、ラストなります。説明は無きに等しく、観客は考えなければいけない終わり方です。妄想の余地があるとも言えます。

観終わって時点でまず考えたのは、なぜワトソンはヴィクター手記を自らへ打ち込んだのか?廃棄はできなかった。ヴィクター手記が下手すれば屍者をゾンビ化させる惨状の可能性を確認したにも関わらず、できない。やはりマッドサイエンティストの気質は除けなかったか。それでも危険は放置できないと、自分の中へ封印した?取り込むことでフライデーに魂を宿すヒントが内に湧き上がることを期待したか。

劇中で「キミの書く文章が好きだった」と語りかけるワトソンに引き継ぎ著作した円城を、そしてフライデーは草稿を遺して亡くなった伊藤の姿を見ずにはいられません。製作者の状況と作品の完成とは別にすべきという考えもありますが、『屍者の帝国』において故人を偲ぶ想いを抜きにはできない作品でしょう。

4年後において。
見始めにおいてワトソンだからホームズも出てくるのかと冗談で考えていたら、本当にそうなった(笑)。悪い意味でなく落とし所として、やっぱりこれでしょう。新しい相棒のホームズと気兼ねない会話を交わしています。何をどうしているのかは分かりませんが、元気なようです。たぶん以前の記憶は失っていると考えるが順当だと思われます。
が!もしかしてホームズを巻き込んで密かに屍者の研究を進めていたりして。だから謎の集団に追われているシーンがあったのではないか。
きりがありません(笑)

きりがないといえば、ハドラーのことです。新しく名乗ったアイリーン・アドラーは、ホームズが唯一愛したとされる女性です。原典で、はっきり描写されていないものの、ホームズ研究家の間では強く支持されている説です。
そんな愛されるアイリーン・アドラーになったハドラーが、再びワトソンの前に姿を現さないわけがない。しかも見守っているくらいです。どんなドラマを以って再会するかは、もはや二次創作の世界に入ってしまいますのでここで終了です。

なにはともあれフライデーワトソンを見守っている。魂を得た存在となっていることに、素直な気持ちで喜びたいラストでした。