【感想】ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

大勢から受けた作品より賛否両論が巻き起こる作品のほうが面白く感じるようである。

賛否両論!この表現が使用されれば、「否」の声が大きいゆえに、「賛」とする声を挙げざるを得ない状況が大抵だと思う。
このサイトで取り上がる作品は、できるだけ「賛」に重きを置きたいと思っている。だから、ここで書いている人の意見は信用ならないと言えるかもしれない(笑)

個人的に一番残念なのは、おもしろくもないが「つまらなくもない」作品である。もったいない時間を過ごしてしまった気になってしまうのである。どうせなら「ダメな作品」のほうがよかったと考えてしまいます。歪んでます。

それでも時折、これはないだろっ!と思う作品に会うこともある。そうした例は、たいてい内容よりも製作姿勢に依る場合が多いです。

以下、ネタバレが含まれます。独自解釈も酷いかもしれません。どうか平にご容赦のほどをよろしくお願いします。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【おさらい】交響詩篇エウレカセブン

『交響詩篇エウレカセブン』2005年4月から翌年の4月までの全50話。TBSで朝7時から放映していました。
2009年には、テレビ舞台とは別とした劇場版『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』が公開されます。
2012年には続編となる『エウレカセブンAO』が日本テレビ系列にて全24話で放映されます。
ずっと製作され続けたきた作品と言えるでしょう。

そして『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』。
第1作『交響詩篇エウレカセブン』のリブート作品として、第1部が2017年、第2部が2018年に、そして第3部が2019年公開となっています。
封切り館数も『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』は6館という小規模だったのが、本作は100以上で封切りです。全世界へ展開も視野に入れているということです。

一般作としてエウレカセブンを世に送り出す。にも関わらず、製作側がその意義を充分に理解できていない。だから問題が生じたように見えます。

【映画館用の作品?】交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1

「ハイエボリューション」第1部に当たる本作。テレビシリーズ版の映像をベースするということである。Zガンダムやエヴァンゲリオンでも観られる手法である。流行りのやり方と言えなくもない。
逆を返せば、Zガンダムやエヴァンゲリオンのリブート劇場作品と比較されるとも言える。

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』である。
のっけから壮大です。いきなり地球規模の危機的状況である。これがテレビや劇中で何度も語られていた「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた大災害を描いていることが判明します。力がこもった開幕に、これからへの期待が高まります。

ですが、新作は実質ここまでと言って良いです。
後はテレビシリーズの再編集をなります。再編集自体に、何か言うつもりはありません。むしろ久々に観れて内容は面白いことを再確認したくらいです。

問題としたいのは、再編集で済ませた画面そのまま持ってきたことです。
テレビシリーズはデジタル放送以前です。4:3の画面比率のアナログ画面でスクリーンへ映し出されているのです。まるでスマホの縦画面を見せられている感覚に近い。

新作画面によるスクリーンいっぱいに広がる迫力場面が最後のほうに観せるなら、まだ演出意図と捉えられるかもしれない。だが冒頭に、どんっと展開した後に縮小画面で延々と観せていく。これでは制作姿勢を疑われても仕方がない。

いや演出どうこう以前に、上映サイズへの再フレーミングを、なぜしなかったのだろう?すでにアナログ放送だったテレビフィルムを中心にした編集で劇場公開している作品は、いくつもあります。例え使い回しであっても、公開用にサイズを合わせ、フィルム時のゴミを取り、スクリーンは映えるよう色彩調整を行う。だから安易とは片付けられない。

再フレーミングによって、構図が多少変化を催すことを嫌がったのだろうか?テレビ放送の画面こそが最善として、敢えて手を下さなかったということか?それが制作側のこだわりなのか?ならば、大々的な劇場公開するべきではなかった。

自宅では体験できない、巨大スクリーンに音響施設。日常とは違った空間へ身を置けることが映画館の良さである。家で観たままを持ち込むならば、劇場公開する意味がない。

映画館で観るという行為に対する配慮に欠けていた、そう言わざるを得ない。作品内容どうこう以前に、劇場まで足を運ぶ気になれない製作方針でした。

ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

映画館なんかで、もう観ない!そう言い切りながら、悲しい性(笑)ちょっと強がれば、いつまでもあんなことを続ける気か、といった意地悪な気持ちもあった。
と、いうわけで「ハイエボリューション」第2部である。ソフトも出たわけなので観返したりもした。

結論から言えば、初めからこうしていれば良かったのに!である。

まず基本映像が新作で占められていること。そして、再使用のテレビ部分はサイズそもままながら演出の意図として成り立っている。なにより流れる時間が圧倒的に少ない。

これでやっと作品自体の「良い悪い」言い換えれば「好き嫌い」が述べられる。でも観に行っているくらいなので、好悪で語れば言わずもがなでしょう(笑)

石井・風花・アネモネ

これは、アネモネのお話しである。石井・風花・アネモネ(いしい・ふうか・アネモネ)といったフルネームが与えられているところが、妙に感動していました。

冒頭でアナモネが誰もいない街を駆け、下水道を抜け、外へ出ていく。ここがクライマックスへ繋がります。今回は一本の映画としてストーリー作りがなされています。

アネモネには父親がいました。戦いへ行き帰って来なかった父に、きちんと言葉を交わすことなく送り出してしまった後悔があります。その後、敵と戦うための組織に所属し、精神を送り込むことで戦える唯一無二の存在として活動しています。
心を打ち開けられる話し相手は、スマホアプリみたいなAI『ドミニク』のみといった状況です。つまり孤独なわけです。

テレビシリーズの人気ある悪役然としたアネモネの姿はありません。重責を抱えた独り寂しい少女といった、まさしく主人公ヒロインの姿です。従来の世界からリバースしています。
それゆえ、悪役に相当するのは、ヒロインだったエウレカになります。失った恋人のレントンを取り戻すためだけに世界を破滅へ走らせる、狂気を秘めた哀れな存在です。それもアネモネに導かれて、正気へ返っていきます。

ここから1作目で痛い目を見たと思っている者の底意地悪さを発揮させていただきます(笑)

アネモネを主役と据えたことで、ヒロインの立ち位置を入れ替えただけとも言えなくもないです。
だからテレビ放送の再使用部分において、アネモネが見せる悪役じみた表情には違和感が強い。例え戦闘中とはいえ、普段からの様子とは結びつかない。今回の劇中とテレビでは性格づけが真逆なのだから、当たり前といえば当たり前です。

ここ近年の作品のなかでも特に『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』は再編集を上手く活用しきれていない。そう思います。

結局は「3」も観るわけです

「ハイエボリューション」は、リブート。だからといって、同じものの繰り返しではないことを第2部『ANEMONE』で明確に示されました。それは素直に喜びたいと個人的に思っています。

AIだったドミニクが実際の人物となりました。月光号やゲッコーステイツといった見覚えあるメンツも具現化されたようです。

そして何よりもラストで登場したレントンが力強く「必ず戻るから」と呼びかけています。これじゃもう次も観るしかないのです(笑)。でも出来ればテレビ再使用部分は過去を振り返るシーン程度で留めていただきたい、と希望しています。