【杉山清貴&オメガトライブ】35年目の真実

2021年5月12日

当サイトは、特撮・アニメを中心にしています。ヲタのブログとしてやっていくつもりです。前回の音楽ネタの時と同じようなことを書いています(笑)。

なんですけどね〜、ブログを始めて3ヶ月。ここで書く以外に術がないため、ちょっと脱線するけれどといった感じで、音楽を取り上げたりします。せめてアニメ関係を、と思いますが、こらえきれずブログにしてしまうことがあります。

ここのブログ、大した訪問者数はありません。それゆえだと思いたいのですが、訪問者の数が跳ねる時があります。そして、その共通が音楽。「電グル」は事件絡みだから仕方がない(笑)とはいえ、もう梶浦由記関係、そしてオドロキの「アリス」です。
あ〜心のままに題材へ向かっていいんだ、と心強く感じる一方、なんだかメイン題材じゃない方が受けているという、自信を失くす事実です。

今回はそんな複雑な気持ちを体現する題材でいきたいと思います。

ちなみに、特に跳ねたブログ記事はこの三つです。なんだかさほど昔でもないのに懐かしいです。

以下、ネタバレです、独自解釈による偏見もあります(笑)どうか、ご了承のほどを。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【35年目の真実】杉山清貴&オメガトライブ

バンドメンバー

杉山清貴&オメガトライブ』は、1983年4月から1985年12月までを活動とする、ヒットチャートを賑わせた人気バンドでした。
ここで書いている人は、リアルタイムで聴いておりました。しかしながらライブは後日です。ライブなんて行けない年頃でした。再結成まで待たなければなりませんでした。

私ごとながら、ライブなどに行くようになったのは平成に入ってからです。主に90年代が多かったです。
その辺りのバンドが現在も頑張ってくれていたなら応援していたでしょう。売り上げや人間関係・マネジメントの問題で解散や停止ならば仕方がありません。
しかしながら、ヤク!友人に「オマエが好きになるミュージシャンって、クスリに手を出すよな」と言われるくらいなのです。そんなのばっかです。音楽は聴いてはいますが、やはり他人へ薦める気にはなれません。

杉山清貴&オメガトライブはデビューして35年を経ても、メンバー誰一人として無事健康なまま社会的悪事にかかわることなかったため(笑)集結できるます。当然を当たり前にこなすことこそ難しい、年齢を重ねればよくわかります。ありがたいことです。

バンドメンバーには、まったく感謝しかございません。

  • 杉山清貴(ボーカル)
  • 高島信二(ギター)
  • 西原俊次(キーボード)
  • 大島孝夫(ベース)
  • 廣石恵一(ドラムス)
  • 吉田健二(ギター)

ところで前身となるアマチュア時代のバンド『きゅうてぃぱんちょす』の頃に、『千住明』が在籍していたのには、びっくり!『鋼の錬金術師』を始めとしてアニメも手がけている音楽家としては知っていましたが、まさかオメガトライブと関わりがあったことは、2018年5月5日の日比谷野音まで知りませんでした。芸能界は分かりません。

その千住明も言っておりますが『きゅうてぃぱんちょす』の曲もまた良いのです。杉山清貴は曲ばかりでなく、いい詩も書いておりました。35年以上経っても、まだ知らないことは多いです。

メンバーではない

いきなりですが『ウルフルズ』というバンドがあります。「ガッツだぜ」などヒット曲を数多く持っており、ここで書いている人もけっこう聴いています。ウラ話ある書籍を熱心に読んでいたりもします。
この『ウルフルズ』当初は全く売れずに迷走状態。そこへなぜだか名のある伊藤銀次がプロデューサーを担当してくれます。ともかくアマチュア上がりの技術的に不安定だった当時のウルフルズのために、時間がかかってもいいよう料金が比較的かからない小さなスタジオでレコーディングをしたそうです。

杉山清貴&オメガトライブ』はファンの間では周知なことですが、バンドメンバーがレコーディングには関わっておりません。スタジオ・ミュージシャンが演奏したものに、杉山清貴のボーカルを乗せる形です。この話しを「歌は知っている」人たちにすると、とても驚かれます。
ファン自体もまた、21世紀に入ってから正式にアナウンスされて初めて知った際は驚いたはずです。薄々感じていたファンもいたかもしれませんが、自分は全くでした。

今回のブログタイトルになっている『杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実』という書籍には、関わったクリエイターとスタジオ・ミュージシャンのインタビューを中心に構成されています。穏やかながら、当時の複雑さが垣間見える興味深い内容でした。

プロデューサーが問題

故人に対して悪く言いたくない気持ちはあります。
けれども、もしこのプロデューサーではなかったら?と思うことは止められません。

初めてのプロデュースは『レイジー』です。今やアニソンの大御所となった影山ヒロノブラウドネスとなるメンツが揃っていました。デビューは1977年7月からで、人気があるまま1981年5月に解散。やりたい音楽と実際にやらなければいけない音楽との乖離を理由に挙げてます。

杉山清貴&オメガトライブに至っては、プロデューサーのプロジェクトということだそうです。演奏するオメガトライブメンバーは、ただのコピーバンド。杉山清貴は歌い方について相当口を挟まれた様子です。作詞家に至っては、「35年目の真実」に限らず他のインタビューでも伺えますが、かなりプロデューサーの意向が強かったみたいです。杉山清貴&オメガトライブの最終アルバムにおいて、メイン作詞家だった康珍化がシングル一曲のみ、そして秋元康が全く参加していないことは起因はこんなところにもあるのではないか。ゲスいながらそんな憶測を立ててしまいます。
サウンド・クリエイターにはいっさい口を挟まなかったそうです。なので作曲家・編曲家からは不満などは伺えません。ただバンドの行く末を案じていた人はいたようです。

きゅうてぃぱんちょす』だった杉山清貴たちにデビューを持ちかける際、このプロデューサーを「性格に問題がある人だよ」と断りは入れていたそうです。
デビューさせてくれるならば、と受け入れるのは当時、そして現在に至っても変わりないことです。実際にヒットも飛ばしました。このプロデューサーのセンスは素晴らしいものがありました。しかしながら杉山清貴&オメガトライブに限らず、抱え込んだミュージシャンのほとんどとトラブルになり去られていく現状が音楽的センスの他に必要なことがある典型的な例だと思われます。

メンバーの演奏を聴くならば

杉山清貴&オメガトライブ』の活動は2年8ヶ月という短い期間ながら、スタジオ・アルバムは5枚出ています。短期間で量産できたのもスタジオとライブで演奏するメンバーを分けたからこそ、という側面も否定できません。しかしながら当時の聴いていた自分が全てバンドメンバーが演っていると信じてしまうには、過去に例があったからです。有名どころでは、ビートルズの初期は他のカヴァーを織り交ぜながら演奏しておりました。当時の日本においても、半年ペースでリリースしているミュージシャンは数多かったと記憶しています。

況してや杉山清貴&オメガトライブは外部ライターを呼んでおります。バンドならば、アルバム作りにどんな形であれ参加させて然るべきではなかったか。そうすれば、こんな短命で終わらず済んだかもしれない。

曲作りにおいても、杉山清貴はもちろんのこと、高島信二西原俊次といった書けるメンバーがいます。そして演奏力としてはメンバーが唯一残した音源として「ライブ盤」から伺えます。

ラスト・ツアーの東京公演を収めたライブ盤『Live Emotion』ここの演奏を聴けば、まずスタジオ・アルバムで演奏していないなど疑いようないのが分かると思います。見事に騙されます(笑)。
そして、何より杉山清貴のボーカル!活き活きと伸びやかで、スタジオ録音より、ずっといいです。でも『ふたりの夏物語』だけはスタジオのほうがいいかも(笑)

ここで書いている人は杉山清貴&オメガトライブの愛聴盤といえば『Live Emotion』なのです。

【待っていれば】復活あります

実はメンバー同士とても仲が良い杉山清貴&オメガトライブです。再結成というより、ちょこちょこ集まっては演奏してます!みたいなことはこれまでありました。

でもなかなか本格的には至らずでしたが、まず2018年5月5日日比谷野音において、はっきり杉山清貴&オメガトライブ名義でライブを行えば、翌年にはツアーが敢行されるほどです。

ようやくライブに参加できて感無量です。ここに至って長年の想いが叶えられた気がします。

ひとつ夢が叶うと、欲張りなもので別の要望が湧き上がります。
杉山清貴&オメガトライブで、アルバムを製作して欲しい。林哲司といった往時の外部ライターに曲作りの参加やアレンジを任せてもいいので、メンバーがスタジオにこもって作られたオリジナル・アルバムを所望します。『きゅうてぃぱんちょす』の曲がライブだけというのも、とてももったいない気もするからです。

今後も機会あれば、バンドの活動はあるそうです。これからの活躍を期待したいのです。