【平成仮面ライダーの思い出】仮面ライダー龍騎

数えるのは西暦を使っている。平成22年は2010年といった具合だ。元号は常に変換である。
とはいえ、時代を表装するための冠として『平成』は忘れられない。
平成ゴジラに平成ガメラ、平成ウルトラマンときて、平成仮面ライダー。全て特撮・ヒーローもんじゃねえか、と言われれば、まさしくその通り!昭和末期には青色吐息だった特撮・ヒーローものが元号が「平成」になると共にである。ゴジラが平成元年『VSビオランテ』から始まりガメラ・ウルトラマンときて、最後に復活の仮面ライダーは平成が終わるにも関わらず、番組自体に終わりはない。

平成こそ復権の元号であったと断言しよう!もちろん個人的だ、世間一般などへ大きく言えない(笑)。

その中でも、最も後まで引いた作品『仮面ライダー龍騎』をブログさせていただきます。

以下、ネタバレが含まれます。独自解釈も酷いかもしれません。どうか平にご容赦のほどをよろしくお願いします。製作者などの敬称も略とさせていただきます。

【当時を振り返り】平成仮面ライダーは叩かれた

仮面ライダー龍騎』は2002年2月3日から2003年1月19日まで全50話と映画及びテレビスペシャルが製作された。平成仮面ライダーの第3作目である。

平成ライダーにおいて、劇中で初めて「仮面ライダー」を名乗った作品でもある。

戦わなければ生き残れない!」センセーショナルなキャッチコピーである。仮面ライダーに興味がない者でも首を傾げる造形でもあった。
かつてのスタッフからも「仮面ライダーが正義ではなく殺し合うなど冒涜以外の何物でもない」といった話しが出ていたくらいである。

仮面ライダークウガでさえ、嫌がらせをしてくる者が後を立たなかったようだ。

この時期に仮面ライダーの枠を広げる苦闘を成し遂げてくれなければ、ここまでシリーズ化はしなかっただろう。

作品の質を優先すべきで、ただ製作し続けるべきではない、という考えもあるだろう。
ただ個人的には、失敗作もまた貴重であり、作り続けられることを第一としたい。製作し続けなければ生まれないケミストリーは、特に特撮・ヒーローものでは顕著である……といった御託より、単純に観ていたい。それだけである。

どさくさで語らせてもらったところで(笑)『仮面ライダー龍騎』は決して順風ななかで開始されたわけではなかった。

【オープニング】主題歌からして

松本梨香が歌う『Alive A life』に乗せたオープニング映像からして胸騒ぎである。
変身するためのカードデッキを、女性ばかりでなく子供までもが手にしている。誰でも仮面ライダーになれる。現在では当然に受け止められることが、当時は衝撃な設定だった。そう、想いやきっかけさえあれば仮面ライダーになれる。これからどんな人物が仮面ライダーになるか、緊張感を感じたくらいだ。

主題歌(オープニング)を女性歌手が担当するなんて初めてだよな、とも思っていた。

【放映開始】ほとんど殺し合わない

戦わなければ生き残れない!」ときたから、トーナメント戦のような攻防が繰り広げられると思いきやである。
第4話、エピソードとしては2つ目の話しで、真司/龍騎蓮/ナイトにおけるダブルライダー揃っての変身には痺れた。殺し合いどころか、共闘のカッコ良さである。

その後に、須藤/シザースが現れ、こやつはあっさり倒されるわけだが、これは状況説明みたいなものである。ライダー名乗る者が敗れれば、どういう目に合うか。須藤自体が極悪人であり、怪人が倒されるくらいの感覚だ。

それから次々と仮面ライダーは現れてくるが直ぐに倒されるような展開にはならない。策謀があり、それぞれの事情も見えてくる。
最凶最悪の浅倉/王蛇が登場して、ようやく倒されるライダーが出てくるようになる。それでさえ倒すのは浅倉/王蛇に限り、倒されてしまう手塚/ライアに、悪人寄りの芝浦/ガイですら愛惜を誘う。

殺し合いが謳われながら、生命が軽んじられてはいないのである。

【後半へ突入の頃】映画『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL

テレビシリーズに先駆けて最終回を先行公開」前回、アギトの映画が秋だったのに対し、夏休みへ繰り上げである。プレッシャーもあっただろう。でも龍騎は開き直りが大事な作品でもある(笑)。

結局は、テレビの最終回ではなかった。そうだろうと思った。後からの知ったかぶりではなく、そこはスタッフをチェックするマニアである。脚本家が井上敏樹であって、メインの小林靖子ではない。ここまで引っ張ってきた小林に最終回を書かせないなんて思えなかった。

しかしながら『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』これはこれで一つの結末であっておもしろかった。そしてやはりこの映画もディレクターズカット版を観るべきである。映画版に登場する(テレビスペシャルにもちょこっと出てます)美穂/ファムが上映版ではばっさりなのである。ファムの存在によって作品に対する味わい深さが変わってくるので、この映画もディレクターカット版の方を是非推したい次第なのである。

そして別の結末である劇場版もまた伏線の一つになっていく。

【終盤へ向けて】

劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』公開中くらいから、明るいエピソードもあり、生き残っている仮面ライダー同士で交流を深めていくくらいである。

真司と蓮が世話になっている喫茶店「花鶏(あとり)」のオーナー沙奈子の姪「神崎優衣」の兄でライダーバトルを仕掛けた張本人である「神崎士郎」が、各ライダーを煽らなければならないほどである。

そんな神崎の策謀を止めるためオルタナティブと表される擬似ライダーが割り込んでくる。
そのオルタナティブであり、神崎を因縁ある仲村が優衣の生命を狙う。真司がその行為を問い詰めた時に、仲村は言います。犠牲にするなら、大勢より一人を選んで当然だといったことを返します。
たいていの主人公ならこう言うかもしれません「俺はカノジョも守るし、他の人たちだって犠牲になんかしない」
けれども真司は何も返しません。返せません。優衣を守り続けることは、蓮の恋人が目覚めないことを意味します。後に知る北岡/ゾルダが余命ない自分の身体を元に戻すことです。

残ったライダーたちも参戦してきます。一癖も二癖もある連中ですが、やはり理由があります。
それぞれが事情を抱えています。身勝手な理由と片付けるには、自分も大人になりすぎました(笑)東條/タイガ佐野/インペラーも当時より現在のほうが哀れに感じます。

正義心や良心だけではどうすることできない、どうにもならない状況へ追い込まれていきます。

【最後の三日間】それは悲しいがゆえに美しい結末

このバトルを仕掛けた「神崎士郎」の最大の誤算は真司が加わったことである。
妹の優衣を救うために用意された仮面ライダー同士のバトル。真司こと龍騎は全員の願いなんて叶わない、ならば「ゆいちゃん」を救おう。まさしく神崎士郎が望む行動へ出る。

けれども、あれほど非情に徹しようとしていた蓮/ナイトも、真司/龍騎にはためらいをみせる。真司がそのまま行動に移れるはずもない。苦悩する姿が、優衣に決心させてしまう。戦いの原因になる自分の存在を諦めてしまい消滅していく。

士郎はそれでも諦めきれない。何度でも何度でも、この世界を繰り返してきた意味がなくなる。

先に逝くのは、真司/龍騎だ。子供を救おうとして重傷を負う(因みに守った子は志田未来)モンスターを倒して倒して、そうして仮面ライダーになった理由を思い出す。モンスターに親が食われて泣いている子供を見たから。モンスターから人々を守りたかったから。正義とされる主人公の理由もまた、他のライダーと同じく純粋な願いからだったのである。

死期が迫る北岡/ゾルダもバトル放棄している。もう虚しいと思っている。しかしながら凶悪ライダー浅倉/王蛇を生むきっかけを作った責任だけは果たしたい。
浅倉/王蛇もそろそろ気が付いている。最高に気分がいいライダーバトルも相手がいてこそだ。一人きりでは意味がない。ありがたいことにゾルダがやってきた。だが倒してみれば、北岡ではない。助手の吾郎である。本当に望んでいた相手ではない。これまで戦ってきたこととは、なんだったのか。

浅倉は仮面ライダーとしてではなく、一人の凶悪犯として現実世界で消されるのである。

残りは蓮/ナイトただ一人で、相手は無敵なんじゃないかという仮面ライダーオーディン(よく負けるけど)もちろん敵わないが操る士郎がバトル最中に諦めてしまったため勝利する。願い通り、カノジョを甦らせ、目を醒ますことはない。

の想いを叶えることで終結した。けれどもまだ犠牲のない終わり方もある。

親によって散る命の運命を兄妹が受け入れること。

バトルのない世界で日常生活を送る、かつてのライダーたち。それぞれの生活を送り接点は持たない同士である。
それでも「無し」となったライダーとして過ごした記憶がどこかで残っているのか。
喫茶店花鶏の前で、なぜか足が止まるほど互いを意識してしまう真司である。

そして店内に腰掛ける真司を、なぜかとても意味ありげに見つめてくる沙奈子もしかして唯一、記憶がある?神崎兄妹の叔母だし)。
落ち着かないまま紅茶を頼む真司。その横で飾られている写真立て。

「いつでも祈っている♪」というエンディングの一節が被せられる、写真立ての中の仲良さそうな幼き兄妹の姿で『仮面ライダー龍騎』は終わる。

敵味方などと二極論では捉えられない、虐待され救われなかった兄妹が足掻いたお話しなのである。

【仮面ライダー龍騎】忘れられないドラマ

特撮というジャンルに限らず、観てきたドラマのなかで最も深い話しではないかとの想いがある。
脚本の小林靖子がどれだけ練り上げてくれたのか……と思いきや、「連続の話しなんて、もうできない」と製作途中に弱音を吐いていたそうだから、試行錯誤の賜物だったようである。今や大物脚本家も苦労をしたという逸話である。

やはり苦心惨憺こそ人材を育てる。作り続けてもらおう。
次世代においても、「子供番組としては不適切」と言われようが「子供と一緒に大人こそ考えて欲しい」番組にまで仕立ててくれることを期待していきたい。