【昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑刊行に合わせ】『ゴジラ対メカゴジラ』『メカゴジラの逆襲』
幸せな時期かもしれない。この春、3月は劇場版『 ウルトラマンR/B』が公開され、5月31日には『Godzilla: King of the Monsters(ゴジラ キング・オブ・モンスターズ)』。そして来年、全米では3月に(日本は未定)『Godzilla vs. Kong』である。
怪獣という要素が加わった特撮状況は嬉しい限りである。このまま盛り上っていきたければ、刊行された『昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』に乗っかっていきたいと思う。
以下、ネタバレが含まれます。独自解釈も酷いかもしれません(笑)どうか平にご容赦のほどをよろしくお願いします。製作者などの敬称も略とさせていただきます。
【チャンピオン祭り】メカゴジラの頃
東宝チャンピオン祭りという、メイン製作したゴジラの他にテレビで放映のアニメやら円谷から引っ張り集めたラインナップである。良くいえば「おもちゃ箱をひっくり返したような」悪く捉えれば「映画好きなら見に行かないような」形である。
もう、2度とこんな映画公開形式はないだろう。良くて、併映。映画館を貸し切ったイベントにでもしなければ、やっつけにも似た複数はあり得ない。況してや、現在で『ウルトラマンR/B』から10話、『SSSS.GRIDMAN』の5話、それにやなぎなぎのライブの一部映像を入れたラインナップでゴジラ新作が公開などありえないだろう。
このたび刊行された『昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』における当時のラインナップを語る広告が掲載されていた。そこからうかがい知れたメカゴジラ公開におけるチャンピオン祭りのラインナップは以下の通りである。
『ゴジラ対メカゴジラ(上映時間84分)』ラインナップ
- アルプスの少女ハイジ*文部省選定
- 侍ジャイアンツ
- ウルトラマンタロウ 血を吸う花は少女の精
- 新造人間キャシャーン
- ハロー!フィンガー5
『メカゴジラの逆襲(上映時間83分)』ラインナップ
- 新八犬伝
- アルプスの少女ハイジ
- サザエさん
- はじめ人間ギャートルズ
- アグネスからの贈りもの
ゴジラの以外の作品時間をまとめれば2時間弱と思われる(適当な計算なのであまり信用しないでね)。
現代では70分ちょいの作品でも、併映などせず、ぐるんぐるん上映時間を回せ回せとばかりである。おおらかな時代である。テレビがどこにもある時代でもなかったし、画面も小さい。映画館の大きいスクリーンはとても魅力を持っていた。
横に広がる大きな画面が一気に普及したのはデジタル放送化してからだと思われる。そう考えれば2019年の時点においては、まだ10年も経っていない。
小刻みな作品の連べ打ちに子供は見ちゃうよ、と推測する。一度は体験したかったが、親は嫌がったのだろう。例えうちの親がゴジラをたまに観にいってもいいか、となってもである。
この頃は途中入館がしょっちゅうな時代である。入れ替えなどはなかった(あったやつはあったが滅多になかったと思う)。杜撰な我が親であるから適当に入館したら、子供番組を延々と見せられる可能性があるわけである。肝心のゴジラより上映時間が「なげーじゃねーか」となる危険がある。
そうだな、やはり複数の併映はいけない。やはりお目当ての作品をどんどん流してもらおう。どうしてもチャンピオン祭りの形でゴジラの新作を公開するなら、個人的には当初に書いたラインナップでお願いしたい。
もし現代にチャンピオン祭りが復活するなら?そのラインナップを考えるのはけっこう楽しいかもしれない。まぁ、何より、チャンピオン祭りの復活自体があり得ないからな(笑)。
【どちらが好き?】「ゴジラ対」か「逆襲」か
学生当時の思い出話しになるが、オールナイトで映画を見まくる友人がいた(現在も付き合いあり)。黒澤映画を中心にあらゆる分野に通じている、一目置く映画好きだった。
特撮は特別でもなかったようだが、ゴジラ・シリーズは一通り観てきたそうだ。白黒時代の邦画を愛する男である。往時の監督である本多猪四郎が最後にメガホンをとった『メカゴジラの逆襲』である。本多監督が撮っただけに重厚な作品であった(突っ込みどころもあるが)。
一方『ゴジラ対メカゴジラ』の監督はコント55号(欽ちゃんと二郎さん)の映画など軽快な演出を得意とする福田純。チャンピオン祭りのゴジラをほとんどを演出した監督が、沖縄を舞台にいつも通りのゴジラを撮影した作品である。
当時の自分は『メカゴジラの逆襲』こそだった。映画好きなら、重く打ち出された作風を気に入っているに違いない。
あっさり言われた「『ゴジラ対メカゴジラ』のほうがおもしろかったな。逆襲はたるかった」。
けっこう衝撃を受けました。通り一遍な思い込みについて考えさせられるきっかけだったかもしれない。作品の見方は人それぞれという当たり前が、頭でなく体験で学べたことは大きかった。
やはりゴジラ、引いては怪獣や特撮作品というのは人生を教えてくれる。これからも追いかけるに値するものであることには間違いない。弊害もあるだろうと周囲から声も上がりそうだが、それは無視である(笑)
【ある意味】合わせ鏡のような2作品
『ゴジラ対メカゴジラ』は前述した通り、アクションあり主人公とヒロインのいい関係ありの、痛快娯楽作品である。それを添える音楽も佐藤勝の名曲として真っ先に挙げられるメカゴジラのテーマが軽快に鳴り響く。
『メカゴジラの逆襲』は世間までから追放された形となった博士の、アンドロイドとして生きながらえさせられた娘と主人公との間における悲恋である。悲劇の作品である。久々のメガホンとなった本多監督と共に、久々に音楽を担当する伊福部昭が重く厚く映画を彩る。ただ人間のために頑張るゴジラなので「ゴジラの猛威」旋律は使用されないところが隔世の感といったところだ。
同じメカゴジラを扱いながら、作品テーマがまるきり反対方向の両作品を象徴するのがキャスト配置である。
両作品を通じて出演している役者といえば、なんと言っても平田昭彦。前者では良識ある博士を、後者ではマッドサイエンティストを。平田昭彦が演じる姿が、それぞれの作風を表わしています。
敵の親玉は睦五朗、昔は睦五郎(むつみごろう)。自分はずっと「むつごろう」だと思っておりました。まじです。動物を飼っている有名人と同じ読み仮名だと、しばらくずっと勘違いしてきていたものです。姿見は2枚目ではないけれど、雰囲気でニヒルなカッコいい敵役を演じていただきました。
このたび刊行された『昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』のインタビューにおいて、演じるに当たり「顔が緑色に塗られて腹が立ちました」あの凄みは実際に怒っていたからなのか、と勝手に解釈して楽しんでおります。
悲惨だったのは大門 正明。ウルトラマン80のイトウチーフです。前者では颯爽と決めた主人公だったのに対し、後者では拉致され脱走したものの喉が切られ声が出ないまま惨殺されるという、友情出演だったしたら(違うけど)酷い扱いにもほどがある役どころでした。
他にも、佐原健二が船長から長官へなどありますが、ここを突っ込みすぎると『ゴジラ対メカゴジラ』と『メカゴジラの逆襲』は正反対な作品がゆえに合わせ鏡のような趣がある、と真面目に決めたい文脈をもう出してしまうわけです(笑)
この2作品だけでも、ゴジラが示してきた作風が一目瞭然とできる。それが昭和のメカゴジラシリーズなのかもしれません。
【読みどころ】『昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』
確かに『Godzilla: King of the Monsters(ゴジラ キング・オブ・モンスターズ)』を控えているとはいえ、未だ書籍が出版されることには驚きである。
平成のVSシリーズだって、もう20年前ですよ。担当した川北特撮監督は鬼籍に入られましたよ。
それが、平成の終わる時に昭和、そう昭和メカゴジラ特集だなんて!しかしこっちの中野特技監督は壮健だ。
そうか、やはり月日の経過よりも、健康と情熱がなによりである。
『昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』初出自の写真もあります。当時を伝えるイベントや玩具・グッズ、それにカード!を掲載してくれたのは嬉しい限りです。
インタビューも生存している監督や主な出演者はもちろん、当時のスタッフのコメントはありがたい。
特殊効果の渡辺忠明は平成後のゴジラにも関わっていたから驚きはありませんでしたが、クレジット表記されなかった浅田英一のコメントは興味深かったです。特殊効果の場面で、手だけの出演していたそうです。
神澤信一も助監督で参加していたんだなぁ。90年代の円谷、つまり電光超人グリッドマンやウルトラマンティガなどです。助監督はクレジットされない、けっこう悲しい役目です。
あと興味深かったのは、デザイナーの井口昭彦のインタビュー。
自分、ひねくれているものですから、当時メカゴジラのデザインは中野監督がブリキ製のゴジラを叩いたものがベースとなったというお話しは信じておりませんでした。この頃はすっかり改められましたが、まことしやかに流される話しには気をつけよう、と改めて思いました。この話題には疑ってかかれたものの、他には考えなく受け入れてしまう事柄は多くありました。
ゴジラ製作の裏側を知ることは人生において大事なことを教えてくれますね(笑)
すっかり脱線気味ですが、井口昭彦はけっこう明け透けに答えてくれるのでおもしろです。やってくる川北は自分が撮るかのように熱心に来ており、若い頃はワガママだったという井口はしょっちゅう喧嘩をしていたそうです。自分がワガママと井口デザイナーは仰いますが、相手はあの川北です(笑)どっちがワガママなんだか知れたものではない、と自分は考えます。
でも本気でぶつかっていたのです。口では解ったようなことを言いながら、実際はいい加減な仕事ぶりに泣かされた時は、この逸話を思い出して羨ましがることにします。
【終焉の時】最後の最後で去っていく姿
初代ゴジラから、数えること21年。水爆実験による悲劇から生まれた白黒ゴジラを子供時分か、成年になって観ていたかでは、メカゴジラシリーズに対する感慨に差があるかもしれません。
子供の頃は時間の経過がゆっくりです。20年の時間は長きに渡った結果かに映るかもしれません。
しかし大人の20年は、あっという間です。もし30歳で初代ゴジラを観た人が50歳でメカゴジラですから、映画作品としての落ち具合のあまりの早さに愕然とする想いを味わったのかもしれません。
ゴジラの斜陽は日本映画そのものでした。
そうしたなかでも最後には人気キャラクターを生んだスタッフ及びプロデューサーには頭が下がる想いです。現在こそある一定の評価を得ていますが、当時とその後しばらくは辛辣なことも耳にしていたはずです。
ゴジラ・シリーズにおいて、最も観客動員数が少なかったとされる『メカゴジラの逆襲』(97万人)。
しかしながらエンド・ロールのない時代、モノクロ調の煌めく海へ去っていくゴジラの後ろ姿へ被さる「終」マークの場面はシリーズの一二を争うラスト・シーンなのである。
現時点(2019年)では、キングギドラ・ラドン・モスラ、そして次作にどうでもいいとまでは言わないが(笑)キングコングまでは登場が確約している。ぜひ大ヒットを飛ばして、『レディ・プレイヤー』におけるネタような扱いではなく『Godzilla vs. MechaGodzilla』にまで至って欲しいと願うのである。